【勝新太郎の生き方】麻薬所持で逮捕され、裁判で「今回のことで30歳くらい大人になった」 滅茶苦茶な人格を愚直に演じ続けた天才役者の実像

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自分の撮りたいように撮る

 とはいえ、治療生活はつらく厳しい毎日だっただろう。妻の玉緒さんに愚痴をこぼしたり、弱音を吐いたりしたに違いない。

 映画の作り手としては、1967年に勝プロダクションを設立。映画製作に取り組んだ。81年に倒産したが、シナリオに律義に従って映画を作ることや映画演出の定法にしばられることは世の中の流れに合わないと、本能的に感じていたに違いない。

 大地を叩く雨の場面を撮るのに、2日間、天気待ちをしたこともある。群集シーンでは、カメラからはみ出してしまう分までエキストラを集めた。

「画面に端っこでも、隣に人がいるのか、いないのかで、人間の表情が変わってくる」

 という理屈だった。効率など度外視。天性の勘の良さとひらめきに加え、カメラの動きやアングルにもえらく凝り、まさに自分が撮りたいように撮る人だった。

 まあ、一言で表現するなら、「役者子供」という言葉が似合う人だった。いまやそんな役者はどこにも存在せず、そもそも何か問題があるとすぐに叩かれるような風潮の社会では、勝新のような役者は生きることができないだろう。時代が許さなくなっている、と言えばそうなのだろうが、やはり寂しい。

「豪快なイメージが強い人だったが、周囲への配慮は細かく、むしろ女性的。天真爛漫で華がある、本当のスターだった」

「座頭市」シリーズの美術監督・西岡善信(1922~2019)は勝の訃報に際してコメントを出したが、勝新のような役者は再び現れることはないだろう。

「良識からはみだせ!」。勝新の野太い声が聞こえてくるような気がする。

 次回は、喜劇王のエノケンこと榎本健一(1904~1970)。卓越した身体能力にスピーディーな動き。ジャズとナンセンスギャグを融合させた新しい喜劇。NHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」に登場するタナケン(生瀬勝久)のモデルとされているが、仮面の下にはどんな素顔が隠されていたのか。

小泉信一(こいずみ・しんいち)
朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴35年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)、『絶滅危惧種記者 群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。

デイリー新潮編集部

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