電波少年「ケイコ先生」から浪曲師に…春野恵子のいま「最初は東大卒の元女優と紹介されるのが嫌でした」

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コロナ禍でネット配信

 2006年に初舞台を踏んだ。2011年に「NHK東西浪曲特選」に出演し、2012年には大阪の文化振興に貢献したとして「咲くやこの花賞」などを受賞した。2014年に米ニューヨークでの公演を成功させたのを皮切りに海外公演も多く敢行した。

「番町皿屋敷」「両国夫婦花火」、などの古典は今や「おはこ」。豊かな声量や広い音域、巧みに声色を変える話術に表情豊かな瞳が魅力で、怒った場面の眼つきも迫力満点だ。現代世相や流行を採り入れるなど、新たな浪曲を開拓する。最近は芝居も手掛け、今や「ケイコワールド」といえる独自の世界を構築しつつある。

 そんな恵子さんが辛かったのはやはり新型コロナの流行だった。

「一心寺の寄席では、客数を十数人に制限されたこともあり、ネット配信を行ったこともありました。もちろん本物に触れてほしいけど。ただでは転びたくなかったし……。制限が無くなった今も、お客さんの数はコロナ禍前ほど多くはありません」

 一心寺門前浪曲寄席は彼女を鍛えてくれた場所だ。月に一度、4人の浪曲師が3日連続で出し物を変えて浪曲を披露する。11月13日は恵子さんのほか、真山一郎さん、春野冨美代さんの2人がベテランの芸を披露し、東京から来た20代の天中軒すみれさんも演じた。

「すみれちゃんは、なんと東京芸大の一番難しい音楽理論の学科を卒業したんですよ。期待の若手なのでぜひ、応援してほしい」

 浪曲界は最近、特に東京で入門者が増えているという。

「東京では玉川奈々福お姉さんが活躍されています。曲師さんも19人まで増えたそうですよ」

息子と旅行に行きたい

 20年間、関西に暮らした恵子さんは「最初、百合子師匠と姉弟子が話している関西弁が面白かったけど、最近は似非関西弁は話せるかな」と笑う。

 ことし9月から関東に居を移した。

「母の身体のことや、受験浪人中の一人息子が東京の大学を受けたい、と言い出したことで転居を決心したんです。仕事は関西が中心です」

 頻繁に東京と大阪を往復する目まぐるしい生活の中も、かねて息子さんが行きたがっているアウシュビッツ収容所(ポーランド)の見学に来春、一緒に行くのが目下の希望とか。

「大学生になったら、母親なんかと旅行に行ってくれないでしょうから」

 あまり私生活を明かさなかった彼女が最後に母心をのぞかせた。(一部、敬称略)

後編【初舞台から17年…春野恵子が「浪曲の世界」を語る 9年も前にクラウドファンディング、今年とにかく緊張した公演とは】へつづく

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部

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