電波少年「ケイコ先生」から浪曲師に…春野恵子のいま「最初は東大卒の元女優と紹介されるのが嫌でした」

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 春野恵子という浪曲師をご存じだろうか。東京大学を卒業後、2000年に「進ぬ!電波少年」(日本テレビ系)で家庭教師役の「ケイコ先生」として人気を博した。その後、テレビドラマに出演するなど女優としても活躍したが、2003年、29歳の時に「新たな芸の道を模索したい」と浪曲界に飛び込んだ。苦節約20年、押すに押されぬ浪曲界のトップランナーになった彼女の今を追った。(全2回の1回目)【粟野仁雄/ジャーナリスト】

家庭教師「ケイコ先生」

 春野さんは、1973年東京都に生まれた。父は東大名誉教授の農学者である。父の研究の関係で一つ上の姉とともに4歳から6歳まで米国で育った。

「向こうでアニメやスーパーマンなどの映画をよく見ていました。日本に帰ってからは、両親が日本語で話しかけても英語で返事していました。アメリカにいた頃の習慣が抜けなくて、男の子にキスしてしまって、変な子だと思われたり、体育の時間の『前へならえ』とか上履きとか、なんのことかわからなかった」(以下、師匠の春野百合子さんが登場するので恵子さんとする)

 中学、高校と名門の白百合学園に通い、東京大学(文科三類)に進学した。出版社勤務を経て、女優を目指していた中、2000年に「進ぬ!電波少年」のオーディションに合格したことが転機になった。タレントの坂本ちゃんが東京大学合格を目指す企画で、彼に8カ月間勉強を教えた家庭教師のケイコ先生として、一躍有名になったのだ。

 その後、ドラマ「救命病棟24時」(フジテレビ)「暴れん坊将軍」(テレビ朝日)、資生堂やハウス食品のCMにも出演したが、2003年に女優を辞めた。浪曲師の二代目春野百合子さんに弟子入りをするためだった。

浪曲師になっても食べていけない

 女優として成功していたのに、なぜ浪曲界に飛び込んだのか。

「もともと落語や講談が好きで浅草の木馬亭に通っており、そこで浪曲に触れて虜になりました。ある日、浪曲師の国本武春さん(2015年に55歳で病死)の楽屋を訪ねて『浪曲師になりたい』と言ったら、武春さんに『ケイコ先生、浪曲師になんかなってもまず食べていけないよ』と言われました」

 それでも熱心に思いを伝える恵子さんに、武春さんが浪曲の音源をMDやカセットにダビングして送ってくれた。それを聴く中で、二代目春野百合子の「おさん茂兵衛」(近松門左衛門原作で、溝口健二監督の映画「近松物語」の原案になったことでも有名)に鳥肌が立った。

「こんなかっこいい浪曲師になりたい。どうしても弟子入りしたい」と居ても立ってもいられず、百合子さんに会うべく大阪に向かったという。

「もちろん、はいどうぞ、とはならないことは知っていました。落語家の皆さんも、入門時に何度追い返されても再び訪ねていったことを知っていましたから」

 最後は、髪の毛を切り、坊主頭にして頼み込んだ。

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