「AIがいつか人間から死すら奪う」 横尾忠則が妄想する物質的世界の果て

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 時々どうでもいいことを空想するくせがあります。今朝も、朝食のサラダを食べながら、これって最初誰が試食して、毒でないことを証明し、また栄養になると誰が知ったのだろうと。ふとこんなことを考える時が多いのですが、このような問題は人類がこの地上に発生した時点で解決済みの問題も多いので、今さら考えることでもないのに、僕はふと考えてしまうのです。

 例えばテレビを見ていると美しい羽の色をした鳥や、海底を泳ぐ熱帯魚の色彩とそのデザインに圧倒されて、誰がこの小動物にこんな意匠を与えたのだろうと。こういうことは大自然の不思議であり奇跡で、すでに世界の生物学者などによって解明済みなのに、今さら僕が掘り起こして、考えることもあるまいと思いながらも考えてしまいます。また、絵を描いている時も、例えば人物画を描きながら、どうして指が5本なのか、4本じゃ駄目なのか、と思って4本にしてみるとミッキーマウスと同じ数になって、これじゃ人間ではない、ネズミだ。やはり人間は5本がいいと思うのだが、ピカソの絵の女性の指を見ていたら6本だった。ピカソは、自分が宇宙の創造者になったつもりで6本にしたのか、それとも造形的には6本の方がしっくりきたので、一本増やしたのか。だけどこれじゃ指がもつれて、行動が限定されるかも知れない。やっぱり自然界か神かがよくよく考えた末に5本と定めたんだから、それにはそれなりの深淵な理由があったに違いない。こんなことを次から次へと考えながら、絵を描いていると、ふと自分が宇宙の法則や神になったつもりになることがあるのです。

 画家もかつては自然の創造した産物に忠実に従っていたはずですが、それを次第にデフォルメして、自然界を無視するようになります。人間である画家はそうした自然の法則に反抗して、描きたいように描いていったわけで、その時、画家はふと自分が法則になったり神になったりするのではないかな、と思ってしまうのです。

 それにしてもこの地上の万物ひとつひとつに不必要なものは何ひとつなく、実に見事に計画され、それがまた単一で存在しているのではなく、他の事物との関係に於いても見事に機能するように創造されていることに気づき、僕は時々、何も言えなくなって、そういう時、僕はやっぱり神の存在を認めてしまうのです。小さいミジンコから太陽や他の惑星のような巨大な物体に至るまで、またそれが全ての物と関連し合って、創られ、存在していることに気づく時、僕は自分のちっぽけな自我にア然としてしまいます。ミジンコだって、太陽と無関係に存在してはいないはずです。もし太陽がなければミジンコも存在しないような気がします。世界中の科学者がその謎に挑戦して、何んとか宇宙の理法のようなものを解明しようとしているのではないでしょうか。そしていつかわれわれが住むこの物質的世界の全てが解明される時が来るのでしょうか。

 僕はこの物質的世界が存在している背景には非物質的世界が大きく関わっているように思います。しかし、今の科学者は、非物質的世界をも物質的理念で解明しようとしているような気がしないでもないのです。その一例がAIではないでしょうか。例えばレンブラントの肖像そっくりの絵をAIが描いたとします。すると、比較してもどっちが本物かどうかもわからないほどの物ができるらしいのです。それはこの物質的世界に於いてそっくりのもので、その真偽の区別はつきません。しかしAIが描いたレンブラントはあくまでも物質的表層部分で、その絵を描いた時点でのレンブラントの感情や魂までは描けていないはずです。言うなれば唯物的そっくり絵画です。われわれは絵を見る時、目で見ているのではなく、その絵の持つ波動を感じ取っているのです。だけど、それを認めている者はほとんどいません。多くの人は、やっぱり絵は視覚の力だと信じています。だからAIの描いたレンブラントも元のレンブラントとの差異はないと思っているのです。

 こんなことで一喜一憂している人間がいたとしても、その人間はこの世界を物質的世界、つまり唯物世界としてしか認識していません。そして、それでもいいと考えているのです。AIがわれわれの生活の中にどんどん侵入して、AIの代表作品を尊重する人間の住む人間の世界を、近未来には支配していくように思います。ありとあらゆる生活の側面にAIが関与してしまって、AI一色になった時、本来のリアリティは必要なくなります。もうこのような未来社会が、何十年、いや何年か先きにやってきます。その内、死も存在しなくなるかも知れません。いつの間にかAIによって不死の人間になってしまっている、そのことにさえ気づかないで生きている。つまり人間から死が奪われてしまって死の意味もなくなります。そして宇宙の法則でもある輪廻転生さえもなくなってしまいます。注射一本でそうなるのか、チップを肉体に埋め込まれてそうなるのか知りませんが、SF世界そのものの中で生存するのです。宇宙の法則も神の存在もへったくれもありません。現在だって医学の進歩で一歩ずつ、死ねない医療によって、寿命がどんどん延びています。

 僕はあり得ないだろうと思う妄想にとりつかれながら、非現実的な話を寝言のように語っています。僕の誇大妄想が現実に変る瞬間が永遠に来ないように、まだ存在しているであろう神を信じたいと思っています。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2023年12月14日号掲載

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