時代劇俳優としての72歳「神田正輝」 40代の時に主演を務めた2つの作品とは
ペリー荻野が出会った時代劇の100人。第22回は、現在、体調不良により検査入院中と報じられている俳優・神田正輝(72)だ。
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神田正輝といえば、女優・旭輝子(1924~2001)を母に持ち、石原裕次郎(1934~1987)に声をかけられて颯爽とデビューした二枚目。「太陽にほえろ!」(日本テレビ)や「大都会」(同前)などの刑事ドラマや「ゆうひが丘の総理大臣」(同前)といった青春コメディでブレイクし、「朝だ!生です旅サラダ」(テレビ朝日/朝日放送テレビ制作)では1997年より司会を務め、すっかり土曜日朝の顔となってきた。
11月より体のメンテナンスということで番組を欠席しているが、早く帰っていつものダジャレを飛ばしてほしい。ちなみに、この番組で私が一番気に入っている神田ダジャレは、自らグルメリポートをした際、とんかつ屋で「カツには普通、ソースかけますけど、ここではあんです」と「アンデスの塩」をパラパラし、ここには「いつでもあんです!!」と放った2連発。
時代劇の出演作は多くはないが、石原軍団の作品にはしばしば登場。渡哲也(1941~2020)主演の「四匹の用心棒」シリーズ(テレ朝・90年、91年)や舘ひろし(73)主演の「素浪人無頼旅」シリーズ(同前・91年、92年)に出演。「素浪人無頼旅」では賞金首として「身の丈五尺六寸。色浅黒く……」と手配される鬼あざみ(舘)の強敵となっている。92年には中村吉右衛門(1944~2021)主演の「鬼平犯科帳」(フジテレビ)第4シリーズ「うんぷてんぷ」に出演。女のために道を踏み外した鬼平の弟分を演じている。
主演作で高い評価を得たのは、95年のNHK金曜時代劇「とおりゃんせ~深川人情澪通り」だ。
舞台化した時代劇も
江戸深川の南のはずれ、通称・澪通りを舞台に、町の木戸の開け閉めと夜回りを生業とする木戸番小屋の笑兵衛(神田)と駄菓子や鼻紙など日用品をささやかに商うお捨(池上季実子)夫婦とさまざまな人との出会いを描く1話完結の物語。原作は直木賞作家の北原亞以子。NHK大河ドラマ「国盗り物語」「花神」を手がけたベテラン脚本家の大野靖子からは、「異色のキャスト」と言われている。
その第1話「名人かたぎ」のゲストは森光子(1920~2012)だった。祭礼の日にお捨の財布を狙い、失敗女スリおくま(森)は病に侵されながらしつこくお捨を狙う。おくまを昔から知る同心(林隆三=1943~2014)や十手持ち(石黒賢=57)にも見張られるおくまに、笑兵衛は「お捨の前で捕まらねえでもらいたい」と言う。ともに裕福な家で育った元武士の笑兵衛とお捨には、人に明かしていない悲惨な経験があり、笑兵衛は病のおくまを心配するお捨を悲しませたくなかったのだ……。
アクションなし、大声なし、ラブシーンもギャグもなし。40代半ばの神田正輝にとっては、まさに新境地だった。
この作品は04年、石原プロと明治座・御園座の提携作品として舞台化された。舞台化を提案したのは神田だったという。私はその際に取材をしたが、
「改めて自分は恵まれた環境にいるのだと思う。深い悲しみを抱えた人間を演じるのは、俳優としてとても勉強になった」
「共演のみなさん(池上、浅茅陽子 、梅津栄=1928~2016、曾我廼家寛太郎=65、加勢大周=53、若林豪=84ほか)に胸を借りるつもりでいい作品にしたい」と謙虚に語っていたことが印象に残っている。
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