「APAアワード2024」金丸重嶺賞受賞の星野藍さん 普通の女性会社員が「旧ソ連」「旧共産圏」の廃墟を巡るクレイジーな旅の原点

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レンタカーよりもバスを選ぶ

 ロシアとウクライナの戦争が始まり、外務省から渡航中止勧告が出ているためロシアにはしばらく行っていない。

「クレジットカードが使えないですし、インターネットでロシアのホテルや鉄道が全く予約できなくなりました」

 しかし、旧ソ連国への旅は続けており、今年の春にはタジキスタンへ撮影に行っている。またどの国でも、目的地へのバスがある場合は、レンタカーよりもバスを選ぶという。

「レンタカーも楽しいけど、バスに乗って偶然何かに出会うっていうのも楽しいんですよね。自分の思いもよらないものが見つかったり」

 見たい廃墟のために、このような危険な目にもあいながら旅を続ける星野さん。そもそもなぜ難しいロシア語を学んでまで旧ソ連の国々を訪れるようになったのか?

 実は星野さん、もともと国内の廃墟クラスタの間では知る人ぞ知る存在だった。2000年代初頭から国内の廃墟を巡り始め、様々なスポットで撮影した写真をブログ、SNSなどに投稿。個展も開いていた。廃墟のためなら難度の高い道のりも苦としない姿勢とその作品から、国内廃墟マニアの間でも知名度を上げていっていた。しかしあることをきっかけに、一時期、廃墟撮影をやめてしまったという。

 そのきっかけとは、2011年3月11日、東日本大震災で出身地・福島県の原発が事故を起こしたことだった。

「未来の福島が少し見えるかもしれない」

「私の故郷・福島県であんなことが起こって、私が知っていた町から人が消えてしまった。もう廃墟を以前と同じように見られなくなり、どう向き合えばいいのかわからなくなってしまったんです。現状に対する消化できない思いを抱え、一方でこれから福島はどうなるんだろうという不安も頭から離れませんでした」

 悩んでいる中で「ウクライナのチェルノブイリ原発を見に行こう」と考えた。ソ連時代の1986年に事故を起こしたチェルノブイリ原発とその周辺を見れば、「未来の福島が少し見えるかもしれないと思ったんです」。

 そして2013年にチェルノブイリ原発を訪れる。この時に見た光景が、旧ソ連の廃墟を巡るきっかけとなった。

「チェルノブイリ原発から3~4キロの場所にプリピャチという街がありました。住んでいたのは原発で働く人たちとその家族がほとんど。従業員のためのアパートが立ち並んでいて、映画館やレストラン、スーパー、開園間近の遊園地もありました。しかし原発事故の後、全住民が退去。ずっと誰も住んでいません。今は立ち入り禁止になったみたいですが、私が行った時は16階建てアパートの屋上に上がって、街を見ることができたんです。視界に入る建物が全て廃墟。その向こうに原発がある。その景色を見て“終わらないのか”と悟りました。あの感覚は今も忘れられません」

 事故から27年後の光景を見て、心の中で区切りがついた。さらにこの旅で高校時代から気になっていた“共産圏デザイン”の建物やプロパガンダ・アートを目の当たりにして、旧ソ連の“残骸”をもっと見たいと心が躍った。ここから旧ソ連、旧共産圏の国々を巡るようになる。

 星野さんはこれまで、旧ソ連15ヵ国のうち、14ヵ国を訪れている。

「残すところトルクメニスタンだけになりました。今調べているんですが、あまり旧ソ連の痕跡が残っていないっぽくて、ネットでも他の国に比べると全然出てこないんですよ」

 おそらくこれを読んでいる方々の多くは、かつてソ連だった国々のお国柄や文化について、ほとんどイメージが湧かないのではないだろうか。ロシアはともかく、その他はよほど積極的に探さないと詳細な情報に接する機会は得にくい。しかし星野さんの写真を見ていると、そんな国々の独特なデザインや彼の地ならではの廃墟に驚き、世界にはまだまだ面白いものがあると思う。

 普通の会社員女性による“クレイジー”な旅のリポートは、これからもまだまだ続いていく。

華川富士也(かがわ・ふじや)
ライター、構成作家、フォトグラファー。1970年生まれ。昨年、長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。今年からフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町ネタ、昭和ネタなどを得意とする。過去にはシリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。

デイリー新潮編集部

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