愛子さまは来春ご卒業 学習院大と学習院女子大の統合は「皇室ブランド」との決別 ヒエラルキーという難題も

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「皇室ブランド」と訣別して残るものとは

 では学習院が「皇室ブランド」と訣別した後に残るものとは何か。

 さる教育専門家は「JR目白駅前に広がる都内有数の広大なキャンパス」と評した。さすがにそれだけではないとは思うが、正直なところ「何が残るのか」は私にもよくわからない。

 いっぽうで最近の女子高等科や男子高等科は、歴史と伝統を維持しながら「皇室ブランド」だけに頼らない運営を進めてきた。学習院大学以外の大学への進学率は上昇の一途であり、2022年度でともに5割を超えた。1980年代前後は8~9割が内部進学をしていたことを考えれば隔世の感がある。ともに中・高一貫教育をうたっており、中等科に入る段階で、大学は他大へ進むことを想定して来る生徒も多い。

 女子中等科の場合、2004年度から入試を2回に分けて実施するようになったことがその契機となった。当時の科長(校長)がその狙いを「学習意欲の高い方々に受けて頂くことを目的として」と説明しており、20年が経過して半ば進学校となった側面がある。少子化を背景に他大の推薦入試枠も増えており、そうした挑戦を促し、叶わなかった場合に学習院大学への進学を選べる柔軟な仕組みを構築している。小室眞子さんが、秋篠宮真子内親王として女子高等科から国際基督教大学(ICU)に進学したのも、この制度を利用してのことだったと聞く。こうした進学において「皇室ブランド」はほぼ無関係である。

 そもそも「皇室ブランド」とはイメージであって、本当は何か、を具体的に説明するのは難しい。皇族方が通われる学校から来るイメージには「奥ゆかしさ」もあろう。

 この点について、学習院大学のある教授は「誰かが何かをしてくれるのを待っている文化」と解説した。戦前の旧華族の文化にも近いのかもしれない。学習院は、旧皇族・華族の学校として始まり、次第に一般人への門戸を開いてきた歴史がある。

ヒエラルキー意識からの脱却を

 先日、大学卒業30年前後の年次の卒業生を対象としたオール学習院の同窓会があった。学習院大学の卒業生に限らず、初等科、中・高等科を卒業し、他校に進んだ卒業生すべてが集う同窓会である。オール学習院の卒業生が所属する「桜友会」の主催であり、こうした同窓会を定期的に開いているのは、学習院の懐の深さかもしれない。だが、学内には今もヒエラルキー(階層性)のようなものが残ることを、ここで私は改めて感じた。

 一般的に私立の総合学園では、小学校、中学、高校、大学と、各階層からの入学者に対する「ヒエラルキー」が実はある。学習院でも「保守本流」は初等科からの出身者である(慶応でも幅を利かせているのは幼稚舎出身者と聞く)。

 出自が裕福であろう初等科出身者の一部には、誤解を恐れずに言えば「あなたたち庶民と私たちは違うのよ」といったオーラがあり、女子中・高等科からの進学者である私はいまだに入り込めない壁を感じた。

 おそらく大学からの進学者も、初等科や中・高等科からの進学者に、同じような壁を感じていたに違いない。もしかしたら、大学からの進学者は学習院の中で肩身の狭い思いをしていたのではないだろうか。この「オーラ」は、私が大学からの進学者に対し、心の中で感じていた付属校出身者としての、根拠のない優越感と同じものだったと気がついた。同時に大変に恥ずかしい思いでいっぱいになった。

 そうした「ヒエラルキー」が現代においては受け入れられ難いものなのは言うまでもあるまい。

 学習院が新しいブランドを作っていくためにすべきことは何か。まずは「ヒエラルキー」を捨て、大学の存在価値を上げるため、時代のニーズに合った教育体制を整えることが急務ではないかと、卒業生として考えている。統合と皇室ブランドからの脱却はその第一歩となるのではないか。

藤澤志穂子(ふじさわ・しほこ)
昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。学習院大学法学部卒、早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻修士課程中退。1992年産経新聞社入社、経済本部、米コロンビア・ビジネススクール客員研究員を経て2019年退社。著書に『出世と肩書』『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』。

デイリー新潮編集部

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