僕の貯金に手をつけた母、その虚し過ぎる使い道… アラ還社長が会社の年下女性に「人並の幸せ」を脅かされるまで
彼女の手作り料理に涙
恋愛などしたことはなかったが、2歳年上の社長の娘である貴子さんとふたりきりで会うようになると、その優しさに引き込まれた。
「自分でも気づかないうちに、僕は家族のために必死だったし頑なになっていた。もうちょっと気楽に生きてもいいんじゃないと彼女に言われて、ごく普通の恋人同士がするように一緒に映画に行ったり、当時少し流行っていたビリヤードに行ったりしました。ああ、こういう楽しみが世の中にはあるんだなと思いましたね」
就職してからは、会社の寮として与えられた小さなアパートで自炊していた。貴子さんが部屋に来て食事を作ってくれたとき、彼は涙を流しながら食べた。
「彼女は一応、社長の娘ですが、大きな会社ではありません。現場の男たちが数名いて、社長の奥さんが経理をやっている、そんな会社です。僕と貴子はつきあいが進み、お互いに結婚を意識するようになった。結婚するならうちに来ないかと社長に誘われました。勤務先の社長も『それがいい』と喜んでくれた。幸せ者だと思いました」
何かがおかしい母親
家族に報告すると、みんな喜んでくれた。「おにいちゃんはいつも私たちのことばかり考えてくれていたから、これからは自分が幸せになって」と妹は泣いた。追い出した父親はどうしているのだろうと、ふっと彼は思った。母親に尋ねると、「知らない」とにべもなく言ったが、何かがおかしかった。
「当時は高卒でもそこそこ給料がよかったので、ボーナスは妹と弟の学費にあてました。それとは別に毎月、生活費と母への小遣い、さらに貯金しておいてと給料の6割くらい母に渡していた。仕事を始めて10年近くたっていましたから、結婚するにあたっていくらか貯金ができてるかなと母に言ったら、もごもごしている。実家の引き出しを探したら、僕名義の通帳はあったけどお金がほとんどなかった。どういうことなんだと聞いたら、別れたオヤジに貢いでいたんです。ショックだったなあ、あれは」
遠くを見つめるような目で彼は記憶をたどっていた。家族を苦しめた父親なのに、母にとっては愛する夫でしかなかったのかもしれない。暴力を受けたこともあったはずだが、母の女としての愛情は消えていなかったのだ。
「母は『ごめんね』と小声で言いました。あの人を見捨てられなかったの、と。やりきれなかったけど、母親を殴るわけにもいかない。怒ったところでお金は戻ってこない」
いいよと彼は言った。だがその時点で、心の中で親とは絶縁したという。その数ヶ月後、父が亡くなった。最後は「住所不定」だったらしい。母が涙ながらに電話で知らせてきたが、彼はすべてを聞かずに受話器を置いた。
義父となる社長にすべてを話した。貯金がないので結婚式はできない。妻となる女性にも正直に話した。オレと結婚しないほうがいいかもしれない、と。だが社長は「気にするな」と言った。貴子さんも「親孝行したと思えばいいじゃない」と笑っていた。
この人たちのために仕事をがんばろう、尽くそうと彼は決め、結婚した。義父と妻は、彼の母親にも連絡してくれた。母は申し訳なさそうな顔をして現れ、誰よりも喜んで泣いていた。彼はそんな母を冷たい目で見ている自分がいることに傷ついていたという。
「これからは貴子と義両親を幸せにする。そう思ってがんばってきました」
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