がぶり寄りの人気力士・荒勢は亡くなって15年、ウイスキーCMで人気も実は…魅力は見た目と素顔のギャップだった

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相撲界を離れた荒勢の次の路は、なんと俳優

 大関の座はすぐ近くまで来ていた。秋場所後の巡業中に足首を痛めた荒勢は、休むことなく巡業に参加し、九州場所に乗り込んだ。しかし、こうした無理を重ねたことが、結果的にあだとなる。九州場所は8勝7敗、翌初場所も8勝止まりで、荒勢の大関取りは振り出しに戻ってしまった。

 それでも昭和55年、荒勢は復活する。初場所で横綱・北の湖を倒し、翌場所は関脇に復帰。翌場所も若乃花(二代目)、三重ノ海の二横綱を破り、荒勢の存在感を見せつけた。しかし、翌昭和56年夏場所、土壌上で巨漢・天ノ山の下敷きになってヒザを大ケガし、途中休場。力を振り絞って、再出場するものの、星は上がらない。

 そして、その年の9月、師匠の花籠親方が逝去する。十両に陥落していた荒勢は秋場所に先をかけていたが、無念の途中休場。 以後、二度と土俵に上がることはなく、新しく花籠部屋の師匠となった輪島のもとで引退を決意する。未練を残したままでの、土俵との別れだった。

 ほどなく相撲界を離れた荒勢の次の路は、なんと俳優。

 荒勢は野武士のような風貌を生かして時代劇で活躍する一方、旅番組の温泉リポーターを務めるなど、新たな一面を披露していく。また、平成13年には参議院選挙に出馬し、意外性を見せた。

 元関脇・荒勢さん急死。

 衝撃の一報が入ってきたのは、平成20年8月のことだった。その数カ月前、脳梗塞に倒れた荒勢は闘病中だったと言う。現役時代、「お嫁さんはいつごろ?」という記者の問いかけに、「先輩(輪島)がまだですからねぇ」と本心を語らなかった荒勢は、生涯独身を貫いた。

武田葉月
ノンフィクションライター。山形県山形市出身、清泉女子大学文学部卒業。出版社勤務を経て、現職へ。大相撲、アマチュア相撲、世界相撲など、おもに相撲の世界を中心に取材、執筆中。著書に、『横綱』『ドルジ 横綱朝青龍の素顔』(以上、講談社)、『インタビュー ザ・大関』『寺尾常史』『大相撲 想い出の名力士』(以上、双葉社)などがある。

デイリー新潮編集部

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