「王貞治に756号を打たれた男」鈴木康二朗さん、世紀の対決に発奮してヤクルトを日本一に導いた名投手の気迫【2023年墓碑銘】

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王さんと共に栄光の場面を作った

 近鉄でバッテリーを組んだ有田修三さんは述懐する。

「あんなに人間性が素晴らしい人はいない。やっさんと若手からも呼ばれて慕われていました。近鉄にすぐなじんで、よく皆で飲みに行きました。穏やかであまり喋らず、心が温かく面倒見もいい。でも、マウンドに上がると人柄が変わる。燃えて勝負をしたがる強気のタイプになるのです」

 86年に引退。1軍12年で414試合に登板、81勝54敗52セーブ。防御率は3.68。故障も少なかった。

 東京の安全設備会社に務めた後、故郷に戻り工場で勤務。請われても野球と距離を置いたが、95年に軟式野球壮年の部で国体に出場して驚かれた。その後、産業廃棄物を処理する会社で2010年の定年まで働いた。

 職場であの投手かと興味を持たれても、やり過ごした。取材は断っていたが、まじめなだけに記者に押しかけられると応じてもいた。

 78年に年上の飲み友達と結婚。1女を授かっている。晩年はひとり暮らしだった。

 19年11月19日に肺炎のため70歳で亡くなっていたことが、今年2月13日に伝わった。19年春に脳梗塞を患い、療養中だったという。

「打たれたのは負けではない。鈴木さんは真っ向から勝負して、王さんと共に栄光の場面を作った。改めて尊敬します」(平松さん)

 王さんに打たれたから成績を伸ばせた。そう語るすがすがしい名選手だった。

デイリー新潮編集部

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