「アブドーラ・ザ・ブッチャーの頭は傷だらけで…」 歌舞伎役者が通う銀座の理容室が閉店、オーナーが語る有名人の素顔

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 明治元年の創業で、150年にわたって歌舞伎役者から愛された、東京・東銀座の老舗弁当店「木挽町辨松(べんまつ)」の廃業から3年。今度は昭和50年開業の理容店「ヘアーサロンよこた」が閉店する。オーナーの横田道雄さん(83)に話を伺った。

「私はまだまだ元気ですが、スタッフが高齢化してきてね。それで11月いっぱいで閉店することにしたんです」

 青森県出身の横田さんは、東京五輪が開催された翌年の昭和40年に上京。平成13年に閉鎖された、銀座東急ホテルの地下にあった理容室で働き始めたという。

「当時は歌舞伎役者というより、東急グループの総帥だった五島昇さんや、ホテルの隣りに本社があった日産自動車で社長や会長を務めた川又克二さん、石原俊(たかし)さんといった財界の重鎮が来店されていました。五島さんは顔をそらず、髪を切るだけ。せっかちなのか、いつも30分ほどで出ていきました。経営トップの方々とゆっくり話をする機会はほとんどなかったけれど、彼らは例外なく紳士で人間としても魅力的。優しい方が多かった印象です」

「あれこそ本物のスター」

 横田さんは35歳の時に、ホテルの職場の真向かいで独立・開業を果たした。それがこのほど閉める店で、

「東映の岡田茂社長も常連客の一人。そのご縁で、片岡千恵蔵さん、大友柳太朗さんといった東映の時代劇スターたちもよく顔を見せてくれました。昭和59年ごろでしたかね、大川橋蔵さんが築地の病院に入院すると極秘に病室まで呼ばれましてね。長居できないので、髪を切ったらすぐに出てきたのを覚えています。大川さんは、その後しばらくして亡くなったのですが、病室でも身だしなみに気を使っておられた。あれこそ本物のスターでしたよ」

 歌舞伎座から歩いて5分にも満たない距離。そんな立地とあって、歌舞伎俳優たちもこぞって来店した。

「先代の七代目中村芝翫さんにはかわいがっていただきました。ある時、歌舞伎座の中で理容室をやらないかとお誘いを頂いたことがあったんです。歌舞伎俳優はかつらを被るので、公演期間中には何度か髪を切る必要がある。だから“店が歌舞伎座の中にあると便利”というワケです」

 昭和57年、横田さんは後に人間国宝に指定される芝翫の求めに応じて劇場内に“支店”を出した。

「椅子が一つだけの小さな理容室。こちらはスタッフ一人に任せて、前の歌舞伎座が閉館する2年前の平成20年まで営業を続けました」

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