「老人に過去を忘れろというのは酷ではないか」 山田太一さんが描いた老人介護施設の人たちの心情

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老人介護施設の人たちの心情

 山田太一ファンにバイブルとして愛され続けている作品といえば、「男たちの旅路」(NHK)と、1983年の「早春スケッチブック」(フジテレビ)ではないだろうか。この2作はとくに台詞の1つ1つが観る側の胸に響き、ときには心をえぐられ、お前は今のままでいいのか、と問いかけられている気持ちにさせられる。

 インタビューの時に、「男たちの旅路」のあるエピソードについて聞いた話は特に印象的だった。

 同作は、1976年から3話ずつ4シリーズ放送された(1982年にスペシャル版も放送)。最近も再放送されたことからもわかる通り、人気も評価も極めて高い。

 舞台は警備会社。太平洋戦争の特攻隊の生き残り、吉岡司令補を鶴田浩二さんが演じた。吉岡と衝突しながらも魅かれていく部下の杉本陽平や島津悦子は、当時20代だった水谷豊さんや桃井かおりさん。シリーズを通して戦中世代と若者たちの断絶と共感を描いた。なかでも、お年寄りの心情をテーマにした「シルバーシート」(第3部第1話)と、車椅子生活者の実情、屈折せざるを得ない心まで容赦なく描いた「車輪の一歩」(第4部第3話)は多くの視聴者の心に響いた。社会に向けて問題提起をした。

「シルバーシート」は老人介護施設の入居者が反乱を起こし、路面電車をジャックする話だ。

 お年寄りたちは、電車をジャックしたものの、具体的な要求はしない。考えろ、と言うだけだ。ホームの職員も、警察官も、警備会社の人間も翻弄される。

 このドラマの話を聞きたくて、筆者はやはり川崎市のご自宅近くの喫茶店へ山田さんを訪ねた(放送から15年ほど経っていたが)。

「シルバーシート」を書いた動機を山田さんは2つ話してくれた。

 1つ目は、敬愛する名優たちと仕事をしたかったのだという。ドラマには、施設の入居者役で、志村喬さん、笠智衆さん、加藤嘉さん、殿山泰司さん、藤原鎌足さんが出演している。そうそうたる顔ぶれだった。

 もう1つの動機として、山田さんはある取材で老人介護施設を訪れたことを話された。施設の職員によると、若いころに社会的地位が高かったお年寄りほどお世話が難しい。高いプライドが施設での生活のさまざまな場面で障害になるそうだ。こんな扱いを受けるような自分ではないはず、もっと尊敬されていいはず、という気持ちを捨てられない。

 職員のかたがたはいつもこう指導していた。

「現在だけを見なさい。過去は忘れなさい」

 この話を聞き、山田さんは割り切れなさを感じた。お世話する側からすればもっともだが、過去を忘れろ、というのは残酷ではないか、と。お年寄りは、過去のかたまりで、過去の思い出を味わいながら今を生きていらっしゃるのではないか、と。現在だけを見なさい、と言われても、その現在は華々しいものではない。ほとんどの場合は肉体的にも社会的にも力を失っている。

 取材を終え山田さんが施設を去ろうとすると、施設で暮らす1人の男性が追いかけてきて1枚の写真を見せた。

「これが私です!」

 どこかの高校の野球部が甲子園に出場したときの記念写真で、そのお年寄りの監督時代の姿もあった。

 山田さんは過去を忘れたくない、という叫びに感じたという。その出来事が刺激となり、「シルバーシート」を書いたと教えてくれた。

「年をとるまでは、年をとるってことが、どういうことかわからなかった。他人事みたいに思ってる。しかし、あっという間に、自分のことなんだねえ」

「自分を必要としてくれる人がいません」

「自分のもうろくは自分ではわからない」

 このような台詞を山田さんは書いている。

「あんたもいまに使い捨てられてしまう」

「年をとった人間はね、あんた方が、小さい頃、電車を動かしていた人間です」

 笠智衆さんや加藤嘉さんが語ると説得力が増した。

「たーだ、こう、年とってるんだねえ。たーだ、もう足なんか弱くなってさあ」

 ドラマのなかで老人介護を度々訪れる陽平の台詞も印象的だった。

80代の気持ちは80代にならないとわからない

 山田さんにこのインタビューをしたとき、筆者は30代だった。お年寄りについての話は、頭では理解はできた。しかし、まだ現実的ではなかった。しかし年齢を重ね、少しずつではあるけれど、リアルになってきている。「いまに使い捨てられる」という台詞はもはや他人事ではない。

 話をしてくれたときの山田さんは60歳くらい。「シルバーシート」は想像の範囲内で書くしかなかったとおっしゃっていた。

 60歳の山田さんから見た80代のお年寄りたちは、あのドラマよりももっと深くあきらめている――そう思えてきたという。

 80代の気持ちは80代にならないとわからないともおっしゃっていた。

 その後、実際に80代になった山田さんは亡くなられた89歳まで介護施設で暮らしていた。令和の今の施設は、昭和の「シルバーシート」のころよりは居心地がいいかもしれない。それでも、80代をどのような気持ちでいらしたのだろうか。なにを思ったのだろうか。60代の山田さんが想像したように、深くあきらめていたのだろうか。令和の「シルバーシート」も読ませていただきたかった。

〇参考図書
『男たちの旅路2』山田太一(大和書房)
『早春スケッチブック』山田太一(大和書房)
本文中の台詞は上記2冊から引用させていただきました。

神舘和典(コウダテ・カズノリ)
ジャーナリスト。1962(昭和37)年東京都生まれ。音楽をはじめ多くの分野で執筆。共著に『うんちの行方』、他に『墓と葬式の見積りをとってみた』『新書で入門 ジャズの鉄板50枚+α』など著書多数(いずれも新潮新書)。

デイリー新潮編集部

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