「絵に困ると自分の中の神にお願いごとをする」 横尾忠則が語る占いと神頼み

  • ブックマーク

『老いと創造──朦朧人生相談』(講談社現代新書)という本を出しました。人生相談なんて性に合わないのに、編集部から持ち込まれる相談ごとについ何か言いたくなって、とうとう一冊分の相談に答える羽目になってしまったのです。人生相談を得意とする作家のセンセイが他に何人もいらっしゃるのに、どうして僕にこんな仕事を持ってくるんだよ、と最初は文句ばかり言っていました。

 僕はどちらかと言うと、相談に乗るタイプの人間ではなく、むしろ相談したい側の人間です。と言って、誰かに相談を持ち掛けたことはありません。もし、相談するなら占い師の方が興味がありますが、自分から積極的に占い師に占ってもらったことはないですね。占い師は何を言うか知れないので、ちょっと怖いですよね。でも当る確率が高そうじゃないですか。

 頼みもしないのに3人の素人占い師が僕に「50歳で死ぬ!」なんてことを言って、脅されたことがありました。プロの占い師は心得ていて生死の問題はタブーですが、僕を占った3人は何しろ素人で人間の尊厳なんて全く考えていません。だから、こういう人の話は聞かない方がいいのですが、良いことを言ってくれるかも知れないと思うと、ちょっと聞いてみたくなるんです。

 以前この3人の中の一人が、僕がインドへ行くと言ったら、「ひとつ用心したほうがいいですよ。向こうであなたに絵を見て欲しいという人が現れます」と。まあ、そういうことはあるかも知れないと思って、とりあえず、インドに出掛けました。すると、ある日、ホテルの部屋に一人の青年が、自分が描いたという油絵を持って、どこで、どうして知ったのか「絵を見てください」とやって来たのです。占い通りだっただけに驚きましたね。

 それでどうしたかと言うと、彼はこの自分の絵を買ってくれと言うのです。確かに「見てくれ」と言うところまでは占い通りです。「買ってくれ」とは占い師は言わなかったけれど、この時、占いってそれほど馬鹿にできないなと思いました。でも、まあ、偶然でしょうと片付けてしまいましたが。

 それにしても、素人占い師が日本から遥か離れたインドの地で、僕に絵を見てくれという人間が現れると占ったその根拠はどこにあったんだろう。占いだから、フト、そんなことが起るだろうという占い師の直感だと思うのですが、僕は大いに感心してしまいました。まあ、この話はこれで、終わりにします。

 占いには四柱推命や、占星術や、トランプ占いや、その他色々あると思いますが、ある時、九州で学校の先生だった方が引退して占いをされていて、僕に伝えたいことがありますと言って、やって来られたことがありました。その時の占いは、僕の幸、不幸に関することではなく、「ある日本の神様があなたをご指導しています」と、ただこの一言だけのために来られたのです。そのことがあってしばらくした頃、また別の方が、僕のところを訪ねてきて、やはり、九州の先生と同じようなことを言ったのです。その方は、具体的に神の名を僕に告げました。その神様は、天の岩戸に天照大神がお隠れになった時、何とかして天照大神を岩戸の外に導きたいと演出した知恵の神で、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)と言うことを教えられました。

「へェー⁉」と僕はその時思っただけだったのですが、後に、本居宣長の門人の平田篤胤の本を読んでいたら、篤胤は考えが行き詰まった時、神に祈って、何度も解決したと書かれていて、その時の神が八意思兼命であったそうです。また、偶然かも知れないのですが、それ以来、何んとなくこの神が気になって、僕も絵で困った時、無意識でこの神に祈っていることに気づきました。宗教臭い話になると嫌ですが、子供の頃から、「困った時の神頼み」は何んとなくしていたような気がするのです。人間には、人間の限界があるように思いますが、絵を描いていると特にその限界に突き当ってしまうのです。

 そんな時、その限界に挑戦したくなって、気がついたら思わず、「思兼命さま」なんて神に念じているように思います。そしてしばらくすると手が勝手に動いて、先っき神に念じたことなど忘れているのですが、いつの間にか問題は解決しているのです。ということは、自分の身体の中に占い師がいて、その占い師によって行き詰まった問題が解決しているのかも知れません。自分で自分の中の占い師か神に身の上相談をしていて、その回答を得ているんじゃないかと思うのです。最初はお遊びのつもりだったのですが、不思議と問題解決が出来ていくことに気づいて、今では困った時は思兼命さまに相談しているのです。知識や教養だけでは解決できないレベルのものを知らず知らずに求めてしまった結果、神のような超越した存在の働らきか、何かそんなメカニズムによって、身の上相談をしたのかも知れませんね。

『老いと創造』で何人かの身の上話に答えてきましたが、もし相談したいことがあるのなら、自分の中にすでに存在している回答者の答えを想定してみてはどうでしょうか。僕は知らないまま、僕の神様に身の上話をご相談していたことに、この原稿を書きながらフト気がついたというわけです。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2023年12月7日号掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。