雅子さまがお生まれになった1963年12月9日には何が起きていたか 翌日の朝日新聞を紐解く
「こんにちは赤ちゃん」
10日朝刊のテレビ欄で最も目を引くのは、フジテレビが午後6時15分からテレビアニメ「鉄腕アトム」を放送していることだ。
「もちろん原作は手塚治虫。彼が設立した『虫プロダクション』が製作し、総監督も務め、この年の1月1日から放送がスタートしました。日本のテレビ史に残るアニメ作品と言っていいでしょう。実際、当時の新聞や雑誌などを見ると、テレビ業界における重要ニュースの一つとして挙げる識者がいたほどです」(同・記者)
このテレビ欄だが、今とは全く違うレイアウトだ。紙面の半分はテレビのタイムスケジュールが掲載されているが、もう半分はラジオ欄なのだ。もちろんBSもCSもない。
オリンピック前年ということで、観戦のためテレビを買った家庭は少なくなかった。この年のテレビ普及率は88・7%にまで達したが、まだラジオも人気を誇っていたことが紙面から分かる。
芸能に目を転じると、雅子さまが誕生された9日の朝日新聞夕刊には、日本レコード大賞の受賞曲が発表されている。記事を引用しよう。
《ことしの日本レコード大賞は十九歳の新人歌手、梓みちよの歌う「こんにちは赤ちゃん」(キング)に決まった》
歌謡曲「こんにちは赤ちゃん」は、作詞が永六輔、作曲が中村八大という“六八コンビ”の名曲として今も有名だ。他の候補曲には、舟木一夫の「高校三年生」や坂本九の「見上げてごらん夜の星を」などがあった。
童謡賞は眞理ヨシコの「おもちゃのチャチャチャ」が受賞。こちらは作詞が野坂昭如。朝日新聞は《家庭中心になる歌謡曲の傾向を示しているといえよう》と分析した。
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東京オリンピックに関する記事も多い。スポーツ面は「8月23日にアテネ出発 12ヵ国を15日間で 東京五輪聖火リレー」の記事がトップだった。
第2社会面も「羽田へも楽になる」という見出しで、首都高1、4号線の一部開通を伝えた。オリンピック開催に向けた交通網の整備であることは言うまでもないが、完成したのは本町ランプから鈴ヶ森ランプの12・7キロに過ぎなかった。
記事には《都心と羽田空港の交通はかなり便利になる》と書かれているものの、首都高で直接、羽田空港に行けるわけではなかったのだ。
第1社会面は「鉄筋アパート内で坊や焼死」という記事が大きく掲載されている。東京・吉祥寺のアパートの一室で、故障した石油ストーブから灯油が漏れ、着火時に引火。母親が布団を被せて消し止めようとすると、逆に火が布団の脇から噴出、2歳の男児が死亡したという痛ましい事故だった。
その脇には「第二国際空港東進の方針」という記事が掲載されている。今の成田空港の建設予定地を伝える内容だが、記事は《「八街・富里」か「霞ヶ浦」》と報じている。
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