雅子さまがお生まれになった1963年12月9日には何が起きていたか 翌日の朝日新聞を紐解く

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 皇后雅子さまは12月9日、60歳の誕生日を迎えられた。お生まれになったのは1963(昭和38)年12月9日、ご結婚は1993(平成5)年6月9日。つまり、雅子さまにとって今年は、還暦と結婚30年という大きな節目が2つも重なったことになる。

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 改めて雅子さまの60年の人生を振り返ってみたいが、そもそも1963年12月9日とはどんな一日だったのだろうか。

 朝日新聞の縮刷版で、誕生された翌日にあたる12月10日の朝刊を調べてみた。すると1面トップは「全閣僚再任でスタート 第三次池田内閣」の記事で埋め尽くされている。当時の首相は「所得倍増計画」で知られる池田勇人だった。

 ちなみに、池田は65年8月4日にがんの手術を受けたが、術後に肺炎が悪化し、13日に死亡した。63年は池田の人生では“晩年”と言っていい。担当記者が言う。

「10月23日、池田は翌64年に東京オリンピックの開催が控えていたことから、政治の安定を狙って衆議院を解散、総選挙を実施しました。狙いは当たり、11月21日に行われた第30回衆議院議員総選挙で、自民党は3議席を減らしたとはいえ283議席を獲得。野党第一党の社会党は144議席にとどまり、敗北宣言を出さざるを得ませんでした」

 第3次池田内閣は全閣僚が再任された。ここにも池田の自信が透けて見えると言えるだろう。朝日新聞の紙面を見ても、《さきの総選挙で再度国民の信を得た首相が、安定成長への経済政策の基本路線を堅持する姿勢を示したものである》と評している。

信じられない好景気

「それにしても、閣僚の顔ぶれには驚かされます。法務大臣が戦前の第1次近衛内閣で大蔵大臣を務めた賀屋興宣。後の首相経験者も多く、佐藤栄作が北海道開発庁と科学技術庁の長官、オリンピック担当大臣などを兼務しています。大平正芳が外務大臣、田中角栄が大蔵大臣、宮澤喜一が経済企画庁長官という具合です」(同・記者)

 朝日新聞が1面で大きく掲載した見出しは「まず『物価』に対処」というものだった。今の政治課題と全く同じということに驚かされるが、インフレの内容は全く異なる。

「高度経済成長は1955年から始まり、雅子さまがお生まれになられた63年は、まさにその真っ只中でした。翌年にオリンピック開催を控え、短期的にも62年から64年にかけては『オリンピック景気』と呼ばれます。池田は記者から来年度の経済成長率を質問され、62年度が6%だったことを問題視、物価上昇を防ぐため消費を抑制し、7%に抑え込む考えを示しました。景気を抑え込む必要があるほどの好景気だったというわけで、国民の所得が伸びないのに物価だけが上がっている現在の経済状況とは全く違います」(同・記者)

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