池田大作氏に贈られた名誉学術称号は408 ローマ教皇との会見も画策、背景に学歴コンプレックスという指摘も
独裁者も讃える
「日蓮正宗との問題で、79年に創価学会の会長を引責辞任したことも大きかったでしょう。各国から勲章をもらうことで“俺は世界の会長だ”と誇示することができたからです。さらに、91年に創価学会が日蓮正宗から破門されたことで、実質的な教祖としての権威付けも必要だったのでしょう」(乙骨氏)
とはいえ、そう簡単に貰えるものではない。
「そのために各国の要人とも会談するわけです。中国の華国鋒首相(1921~2008)はじめ、パナマの麻薬王で独裁者として知られたマヌエル・ノリエガ将軍(1934~2017)、後に処刑されたルーマニアの独裁者、ニコラエ・チャウシェスク大統領(1918~1989)を平和主義者と讃えていました。大学には大量の本を寄贈したり……。日蓮聖人が『後世を願はん者は名利名聞を捨て』とおっしゃっているように、“名利名聞”の最たるものが勲章や名誉称号でしょう。その意味でも、池田氏は仏法に背いていると指摘する人もいます」(乙骨氏)
もっとも、池田氏のことを「ただのコレクターではない」と指摘するのはジャーナリストの山田直樹氏だ。
「70年代、創価学会はまだ他の新宗教に先を越されていたという焦りもあったと思います。特に立正佼成会の創設者・庭野日敬氏(1906~1999)は、65年に仏教徒として初めてローマ教皇パウロ6世(1897~1978)と会見し、79年には宗教界のノーベル賞と呼ばれるテンプルトン賞を受章しました。もちろん池田氏は、テンプルトン賞はもらっていません。そのため彼は、ローマ教皇との会見を望んでいろいろな手を尽くしたようです」
世界戦略も
94年5月の衆議院予算委員会では、羽田孜首相(1935~2017)が当時野党だった自民党の深谷隆司氏(88)から「バチカンに外遊した際、ローマ教皇宛ての池田氏からの親書を持って行ったというのは本当か」と追求されている。もちろん首相は認めなかった。
「それもあって、とにかく数で勝負したとも考えられます。また、名誉学術称号を授与されるにあたって、彼が大学の創設者だったことも有利に働きました。怪しげなアジアの宗教者でなく、教育者、思想家としてなら信頼も得られやすいでしょう。さらに、SGI会長として各国を訪問することで、創価学会を世界宗教にするという戦略もあったでしょう。特に東欧や中南米といった地域は、まだ仏教がそれほど広まっていなかったため、SGIにとっては新たな市場だったはずです。そして彼は、受章すると必ず、学会員に向けて『みなさんのおかげです』と言うから、学会員も喜んだ。名誉称号のコレクションは、学会を大きくするために役立ったと思います」(山田氏)
前出の乙骨氏が言う。
「公明党委員長を務めた元衆議院議員の竹入義勝氏(97)は、勲一等旭日大綬章を受章しました。彼はその後、公明党の最高顧問を解任された上、学会からも除名されました。これは日本で勲章を貰えない池田氏のやっかみとも言われました。彼の最終目標はノーベル平和賞とも報じられてきましたが、とうとうそれは叶いませんでした」