日活ロマンポルノで脚光「絵沢萠子さん」、異色の演技派女優は「関西学院大卒」の才媛だった【2023年墓碑銘】

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 長く厳しい“コロナ禍”が明け、街がかつてのにぎわいを取り戻した2023年。侍ジャパンのWBC制覇に胸を高鳴らせつつ、世界が新たな“戦争の時代”に突入したことを実感せざるを得ない一年だった。そんな今年も、数多くの著名人がこの世を去っている。「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」では、旅立った方々が歩んだ人生の悲喜こもごもを余すことなく描いてきた。その波乱に満ちた歩みを振り返ることで、故人をしのびたい。
(「週刊新潮」2023年1月19日号掲載の内容です)

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 絵沢萠子(えざわもえこ)(本名・楠 智江)さんの名前は知らなくても、映画やテレビドラマで見かけたことがあるのではないか。彼女は日活ロマンポルノを支えたスターでもある。

 日活がロマンポルノの上映を始めたのは、1971年。以来、88年までの間に1100本余りの作品が製作された。そのほとんどを観てきた映画評論家の北川れい子さんは振り返る。

「10分に1回は裸を登場させ、予算と製作日数を守れば題材も表現も自由。欲情を刺激するだけの即物的な性描写ではなく、濡れ場には男女の心情を込めた物語がありました。絵沢さんはすぐに監督の意図をくみ取れた得難い名女優でした」

 神代(くましろ)辰巳監督の「濡れた唇」で72年にロマンポルノ初出演。殺人の共犯として逃亡する娼婦役で光った。

「仕草や視線、口調、着こなしに現実味があり生活臭も漂う。役柄が歩んできた人生や境遇が自然と伝わってきました」(北川さん)

 第1作に出演時、すでに30代。絶世の美女でもない。

「ぽっちゃりして親近感の湧く肉体。年を重ねても女を捨てたわけではない内面や男にだらしない姿、ずるさを見せたかと思えば、純朴さではっとさせる。若い肢体のスター女優にはない魅力を放った」(北川さん)

高倉健の愛人役

 35年、兵庫県神戸生まれ。関西学院大学文学部で英文学を学んだ才媛だ。卒論はアメリカの劇作家テネシー・ウィリアムズの研究。大卒後、会社勤めをしながら本格的に演劇を始めた。

 度胸は抜群。近所で新藤兼人監督がロケをしていることを知ると、役を下さいと願い出た。こうして68年、「強虫女と弱虫男」のホステス役で映画デビュー。

 京都にある劇団くるみ座に属した後、東京へ。ロマンポルノから声がかかり、周囲は心配したが、神代監督が書いた脚本を読んで快諾。舞台での経験が豊かな演技力の土台になっていた。「恋人たちは濡れた」(73年)では夫との関係が冷め若い男と交わる物憂げな姿で、脇役ながら絶賛される。

 日活以外からも出演を請われ、東映作品の「神戸国際ギャング」(75年)では高倉健の愛人役。濡れ場も堂々たるもので、健さんの方が照れくさそうだった。

 新藤監督との縁も続いた。「竹山ひとり旅」(77年)にも出演。同作で映画デビューした女優の風祭ゆきさんは当時を思い出す。

「絵沢さんが自分を消し去り、すっかり役の人物を生きている姿を見て、演じるとはこういうことなんだと衝撃を受けました」

姉御肌でも謙虚

 今村昌平監督「復讐するは我にあり」(79年)、澤井信一郎監督「Wの悲劇」(84年)、崔洋一監督「月はどっちに出ている」(93年)など出演した一般映画も枚挙にいとまがない。

 映画評論家の白井佳夫さんは言う。

「見た目は普通のおばさんですが少し登場するだけで作品がリアルになる。才能があるのにでしゃばらない」

 テレビでも重宝された。NHK大河ドラマ「風林火山」や連続テレビ小説「てるてる家族」をはじめ、時代劇も刑事モノもこなせた。

「仕事が急増してもロマンポルノをやめず、10年以上出演した。誇りを持っていたのです」(北川さん)

 夫は俳優の楠年明さん。絵沢さんがお酒を楽しめる店を大阪で開いていたことについて、演芸評論家の相羽秋夫さんはこう回想する。

「仲の良い夫婦で一緒に店に出ている時もありました。私に相談しないで裸の仕事を決めてくるんですよと楠さんが冗談ぽくぼやいていました。店に来たファンの話もきちんと聞く。姐御肌でも謙虚で好かれていた」

 2010年代も、大竹しのぶ、宮崎あおいと共演した映画「オカンの嫁入り」のような良作に恵まれた。

 22年12月26日、老衰のため87歳で逝去。

 日活ロマンポルノはDVDでの復刻も進み、絵沢さんの出演作に新たな世代のファンも生まれている。

デイリー新潮編集部

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