新発掘! 最後の文豪・井伏鱒二の知られざる小説で茶化されたメディアとは

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『山椒魚』『黒い雨』などで知られる文豪・井伏鱒二。今年は没後30年にあたり、企画展なども催されている。その井伏の全集や単行本にも未収録となる、幻の小説2篇が見つかった。「月刊新潮」2024年1月号に掲載された同作品をご紹介する。

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 井伏鱒二といえば、『山椒魚』『黒い雨』などで知られた文豪であり、その作品は英訳のみならず、フランス語、ドイツ語、中国語など世界中で翻訳されている。「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」(漢詩「勧酒」の井伏訳)のフレーズでご記憶の方も多いだろう。

 その井伏鱒二の、これまでに知られていなかった短篇小説2篇が見つかり、「月刊新潮」2024年1月号(12月7日発売)にて掲載された。井伏クラスの文豪で、完全な小説でありながら、全集や単行本に未収録の、こうした作品が見つかることは極めてまれだ。

「三十男Q・Dの告白」と「小さな町」という2作品を発掘したのは、大原祐治・実践女子大学教授。いずれも戦前の週刊新聞「東京週報」(1933年創刊)に掲載されたものである。

「東京週報」の文芸欄を担当していたのは、坂口安吾の友人、大久保洋。彼はプレヴォーの『マノン・レスコー』やルナールの『にんじん』、ラクロの『危険な関係』などを訳した仏文学者だ。友人である坂口安吾自身も「東京週報」に探偵小説を寄稿している。

 1週間のニュースをまとめて紹介し、徳川夢声や直木三十五といった、当時の売れっ子らも執筆者として名を連ねた「東京週報」だが、図書館等に収蔵されなかったため、ながらく忘れられた存在となっていたようだ。

 大原氏は、偶然、古書店の発行する目録の中に合冊本を見つけ、入手し調査を続けてきたという。

 2作品を執筆した時、井伏は35歳。既に「山椒魚」を発表しており、単行本も刊行され、小林秀雄や太宰治、林芙美子らとの交流もあった。

 では、2作品を少しだけご紹介しよう。

「三十男Q・Dの告白」

「三十男Q・Dの告白」と題された小説は、真面目な作家Q・Dが、東北の田舎町で窃盗未遂の嫌疑で捕らえられたという衝撃的な文章から始まる。もう一つの「小さな町」も、曲馬団の花形曲馬師である少女が、興行の最中に馬ごと脱走するという事件を地元紙が報じたところから話が展開していく。いずれもストーリーテラーとしての井伏の面目躍如といったお手並みだ。

「私の友人Q・Dは作家として真面目な人物だといはれてゐる文筆家であるが、彼は東北地方の或る田舎町で意外にも窃盗未遂の嫌疑で警察の手に捕へられ、東京に護送された。そして二週間ばかり拘留された後で、無罪といふことが判明して、放免された。私は彼を貰ひさげに行つたとき、彼の罪状を取調た書類を見て、その取調に際して彼が次のやうに陳述してゐるのを知ることができた。そして私はその陳述によつて、なぜ彼が東北の小さな田舎町などに出かけたかその理由をも知ることができた。彼は窃盗未遂の嫌疑をかけられても腹を立てないで、落ち着きはらつて彼の秘密な恋愛を洗ひざらひおしやべりしてゐる。」(「三十男Q・Dの告白」冒頭部分)

 この後、Q・Dの秘密の恋愛の話が、調書の中身として紹介されていく。

「小さな町」

 一方の「小さな町」では、旅まわりの曲馬団に所属する少女曲馬師・一龍斎小華が、火の輪くぐりの騎馬曲芸を演じた後、乗っていた馬が暴れ出して、木戸口からそのまま馬ごと逃げだしてしまったことを報じる地元紙の報道を紹介する形で、話が進んでいく。

「それは沼野町日刊新報の記事によると『目にとまらぬ早わざにして、逃亡者は木戸番の男が制止する隙とてもなく、馬を駆つて蓮華畑を走りぬけた。馬は逸物、乗り手は達人、あれよあれよと群衆の騒ぐ間に、この一座の花形は雲を霞と逃げ去つた』さういふ敏速な脱走ぶりであつた。

 彼女が木戸口からとび出したとき、そこに立つてゐた人々は彼女が、

『駄目よ駄目よ!親方さん、馬をとめて下さい!』

 と叫ぶのをきいた。それ故この曲馬団に関係のない人々は、彼女が脱走しようといふ意志で小屋からとび出したのではないと、信じた。

 彼女が三日たつても四日たつても曲馬団に帰つて来ないのは、親方に叱られるのが怖ろしいからであらうと人々は噂してゐた。

 けれど木戸番をしてゐた男は、彼女が木戸口を割つてとび出すとき彼女は踵で乗馬の腹を蹴つたのを確に目撃したと言明した。」(「小さな町」より。一部抜粋)

 少女と馬の行方、そもそも逃げたのかどうかという謎、曲馬団の親方や勧進元のバクチ打ちらのドタバタ劇が、報道を追う形で語られる。大原氏はこの作品についてこう解説する。

「『すべて事件は、次から次に幾らでも起きて来るものである』と語り手が皮肉たっぷりに突き放すところで物語は閉じられます。新聞というメディアへの冷ややかな批評が込められているのでしょう。それを新興の週刊紙『東京週報』からの依頼に応じて差し出すところに、井伏鱒二という作家の、茶目っ気と毒気がない交ぜになった魅力が感じられます」

 90過ぎで亡くなった文豪の、意外なまでの茶目っ気が感じられる短篇2篇。その結末はいずれも時代を切り取るかのような感もあり、意外で、不思議な余韻を残している。

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