オープンハウスに買収された不動産販売「三栄建築設計」社長が「暴力団組長案件で辞任」への反論
しがらみ
当時、三栄建築設計の従業員は十数名で、売上は数億円程度だった。
「自宅の新築以後、組長からは暴力団事務所や経営する広告代理店のリフォーム工事なども依頼されました。会社はまだまだ小規模でしたから、仕事を選んではいられなかった。自宅を新築すると、10年間のメンテナンス保証があるのですが、その窓口のSという社員が組長からの仕事の依頼も受け付けていました」
その後、三栄建築設計は順調に事業を拡大し、06年9月、まずは名証セントレックス上場に漕ぎつけた。
「ほどなく、暴排条例が各地で制定され、暴力団との付き合いに世間の厳しい目が向けられるようになりました。直接、私が組長に電話し、“これからは一線を引かせていただきたい”と伝えた。それによって、仕事上の関係は解消しました。ただ、たまに不動産の相場が知りたいと連絡を受けたり、年に1回か2回、酒席を共にしたりもした。その支払いは別々でしたが、しがらみを完全に断ち切れず、自分の甘さを反省しています」
その裏で、組長との付き合いを続けていたのは、窓口のS社員だった。
「19年の春ごろ、Sが個人的に組長の自宅の庭に離れを建てる仕事を請け負っていました。当時、Sは三栄建築設計の子会社に在籍し、課長の役職でした。私は、子会社で開かれた会議に出席し、“埼玉に行くのはやめろ”“会社の事業に支障が出るようになっては困る”と申し渡しました」(つづく)
「週刊新潮」2023年12月7日号「MONEY」欄の有料版では、小池元社長の告白を詳報する。
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