複数の人妻と交際しつつ、妻とは手も握らずのデート5回で結婚…42歳男性の10年後に崩れた目論見
理論武装があっけなく崩れていった結婚生活
とはいえ、いずれもうけるはずだったのだから気持ちを切り替えて子どものためにがんばろうと彼は思った。ところがもうひとつ目算が外れたのは、妻がいきなり仕事を辞めてきたことだった。妊娠したら急に子どもが愛おしくなった。子どものために全力でやれることをやりたいと祐貴子さんは言った。
「その結果が退職だった。僕にはよくわからなかったけど、相手の自主性を尊重するといってしまった手前、仕事を辞めたいと言うならしかたがないですよね。こういうとき男が仕事を辞めたら批判されるけど、女性が辞めても批判されない。不公平だよなあとは思いました」
まじめに堅苦しく始まった取材なのだが、妻の言動によって知久さんの思惑と理論武装があっけなく崩れていくのがおかしくて、つい吹きだしてしまった。楽して暮らしたい祐貴子さんの術中にはめられたのかもしれない。
「僕もそう思いました。こっちだってまだ充分な給料をもらっているとはいえなかったし、経済的に余裕がないのはつらい。ただ、結婚してから詳細を知ったんですが、祐貴子の実家が非常に裕福だったんですよ。彼女は僕の給料だけで家計を回していると言っていたけど、実際には実家からかなり助けてもらっていたようです。彼女の父親がものすごく娘に甘い人だったから」
妊娠後期からは妻の実家の配慮で、週に数回、お手伝いさんが送り込まれてきた。昼間だけで帰ってしまうので、当初、知久さんはその存在を知らなかったのだが、近所の人に言われて知ることとなった。夫婦ふたりで自立した家庭を作るのは無理だったのだ。
「それでも娘が生まれてみたら、義父の気持ちも少しわかりましたね。こんなかわいい娘に苦労はさせたくない、自分に財力があったら貧乏な娘一家を助けたくなるのは当たり前かもしれないなと思いました」
予定と違ってしまった夫婦像
偉そうなことを言っても金のある者にはかなわない。知久さんはそう感じた。そしていつかはと思っていた転職を実行した。転職先は外資系の同業他社で、成果を上げさえすればかなりの高給取りになれる。
「同時に前職の先輩や同僚と会社を立ち上げました。外資系企業で成果を出しながら、一方で自分が経営者にもなる。うまくいけば数千万の年収になるはずでした」
働きづめだったし、今まで感じたことのないストレスもあった。だが少しずつ手応えを感じるようになった。3年後には東京郊外に一軒家を購入した。彼としては都心マンションのほうがよかったのだが、妻が子どものためにと見つけてきた家にした。
「妻は相変わらず働かなかったけど、僕は自分で稼げるからいいやと寛容になっていました。週に1日は絶対に休んで娘と過ごす時間もとっていたし、僕はお金を稼ぐ、妻は家事をするという分担制でやっていくしかない。当初考えていた夫婦像とは違っていたけど、そうなってしまったものはしかたないですから」
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