【追悼・山田太一さん】「僕は視聴率を獲れる作家ではありませんよ」「大学ごときで…」 12年の取材メモで振り返る“素顔と言葉”

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歴史的名作「車輪の一歩」秘話

 今も歴史的名作として語り継がれているNHK「男たちの旅路」(1976年)シリーズの「車輪の一歩」では、障がい者との共生を呼び掛けた。約90分の作品だったが、これを書くため、3年も障がい者たちと交流した。

「あのころは障がい者の方のためのインフラが整備されてなく、皆さん大変な思いをされていた。歩道の段差さえ配慮されていないし、車椅子の方は付添人がいなければバスに乗れなかった。映画館に行くと、『空いている時に来い』と追い返される始末でした」(山田さん)

 山田さんは「障がい者の方はもっと周囲の人の手を借りてもいいんじゃないか」と考えるようになる。

「誰かに頼み、手伝ってもらえばいい。ところが、日本人は『他人に迷惑をかけてはいけない』と教え込まれていますから、障がい者の方々は遠慮してしまう。自宅から出にくいような状態でした」(山田さん)

 そして生まれた「車輪の一歩」では、鶴田浩二さんが扮した主人公のガードマン・吉岡晋太郎が、世間に気兼ねして外出を控えている車椅子の若者たちに対し、こう語り掛ける。山田さんの思いを代弁した。

「人に迷惑を掛けないというのは、今の社会で一番疑われていないルールかも知れない。しかし、それが君たちを縛っている。迷惑を掛けてもいいんじゃないか。いや、掛けなければいけないんじゃないか」(鶴田さんが演じた吉岡の言葉)

 ラストシーンでは母親に外出を止められていた車椅子の若い女性(斎藤とも子・62)が、吉岡の言葉に勇気付けられて外出し、高い場所にある駅舎に上がろうとする。独力では無理だったので、意を決し「誰か私を(駅舎まで)上げてください!」と叫んだ。通行人は当初、その声に戸惑うが、1人が女性に駆け寄ると、次々と人が集まり、女性と車椅子を駅舎まで上げた。

「そもそも車椅子を持ち上げたりすることぐらい、迷惑なんかじゃありませんよ」(山田さん)

強い共生意識

 この作品は障がい者の方々にも絶賛され、今も福祉関係の大学などで教材として使われている。高齢者との共生の必要性も口にしていた。

「僕たちは現在と未来のために生きているように見えますが、実は過去のほうが膨大なんです。その過去をつくったのは老人たち。老人たちを厄介者扱いするのは、もったいないことだと思うのです」(山田さん)

 共生意識を持つ人だったので、2007年に愛知県大府市で認知症の男性(当時91)がJR東海の線路内で列車に跳ねられ、死亡した上、その妻と長男に多額の賠償金が請求されると、珍しく声を強めた。

「認知症の方が増える中、あまりにむごい話です。こんなことがあって、いいはずがない」(山田さん)

 その後、裁判となるが、結果は山田さんの言葉通りになった。家族の責任を認めた1、2審判決を2016年に最高裁が破棄。家族に責任は問えないとした。山田さんには社会の在るべき姿を見通す目もあった。

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