【追悼・山田太一さん】「僕は視聴率を獲れる作家ではありませんよ」「大学ごときで…」 12年の取材メモで振り返る“素顔と言葉”
脚本を芸術の域に押し上げた山田太一さんが老衰のため死去した。89歳だった。決して声を荒らげない温厚な人だったが、内面は熱かった。約12年の取材ノートから山田さんの素顔を浮き彫りにしたい。
「1970年代前半まで、私たちドラマの脚本家は無いに等しい扱いを受けていました。役者さんにとっても脚本家の存在は小さく、収録が終わると脚本をクズ籠に捨ててしまう人すら珍しくありませんでした」(生前の山田太一さん)
日陰の存在だった脚本を芸術の域に押し上げたのは山田さん、倉本聰さん(88)、向田邦子さん、早坂暁さんたちである。...