パリ人肉事件・佐川一政氏の生涯 本人が亡くなる前に語っていた窮状、好きなアイドルの名前も
看護婦の手に噛みついた
《「弁当を食べていたら、喉につかえてしまった。食べ物が入らなくなってしまったのです。その時点で誤嚥性肺炎を起こしていたので入院し、胃瘻にせざるをえなくなりました。神奈川県周辺で病院を数カ所替わり、いまに至ります。彼も私も年金ぐらいしか収入がないので、かなり心細いです」》
脳梗塞と網膜症にも罹患し、読書もままならない日々。実弟が《毎日、つまらないでしょうね》と言う通り、衰弱は顕著だったという。とはいえ、生命力の全てが失われたわけではなかったようだ。
《「そうそう、かれはまだ好きな女性芸能人がいるんです。昔は、国仲涼子さんや上戸彩さん、瀧本美織さんなどがお気に入りだと書かれました。いまは、戸田恵梨香さんと石原さとみさんです。入院前、アパートに戸田さんの写真集もありましたし」》
週刊新潮は22年12月15日号の「墓碑銘」で、佐川氏の死去を取り上げた。タイトルは「パリ人肉事件から40年余 佐川一政氏の長きそれから」。やはり実弟が取材に応じ、以下のように語った。
《「胃瘻を造り、口から食べられなくなった後も、看護婦さんの手に噛みついたことがある。今でも女性を食べたいかと問われると“思う”といつも答えていました。記者へのサービスではなく本心だったのではないでしょうか」》
週刊新潮が佐川氏の肉声を最後に伝えたのは、先に紹介した11年のグラビア記事だった。立ち退きを迫られていたアパートで、佐川氏はボソッと漏らしたという。
《「人を殺すということは、自分も殺すことなんですよ。社会から抹殺されてしまうんですからね」》