パリ人肉事件・佐川一政氏の生涯 本人が亡くなる前に語っていた窮状、好きなアイドルの名前も
「気をつけろ『佐川君』が歩いている」
週刊新潮は、精神科医など多くの関係者に取材を重ね、85年の11月7日号で5ページの特集記事「気をつけろ『佐川君』が歩いている」を掲載。《人一人食べた男が正常であるわけはない。その危険人物を社会に放り出していて平気なこの国こそ異常である》と報じると、大きな話題を呼んだ。
一方の佐川氏は84年1月、事件の顛末を描いた小説『霧の中』(話の特集)を出版。「小説家」という肩書を手に入れた。
それから数年後、佐川氏の“社会的評価”が変わった。89年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勤事件)が発生すると、マスコミから取材・執筆依頼が殺到。佐川氏は複数の雑誌に連載を持ち、講演やトークショーをこなした。
とはいえ、結局のところ、それは一過性のブームに過ぎなかった。次第に仕事は減り、佐川氏は生活に困窮していく。
奇縁と言うべきか、その頃から佐川氏は週刊新潮の取材に応じるようになり、亡くなるまでの間、何度か誌面に登場した。
その中の一つに2006年2月23日号に掲載された「パリ人肉事件『佐川君』の哀れな『失業生活』」の記事がある。佐川氏は苦しい懐事情を切々と訴えている。本文から引用しよう。
《「半端じゃない苦労をかけた私の両親は昨年の1月4日に父が、5日には母が相次いで亡くなりました。当時の私は、闇金の取立て屋に追われて千葉県に逃げていた頃で、残念ながら死に目に会えませんでした。葬儀も社葬という理由で出席を断られ、離れた部屋からテレビのモニターに見入るだけだったのです」》
美少女アイドル
ちなみに、佐川氏の父親は大手の総合水処理メーカーで社長を務めた。社葬になったのは当然だろう。
《「親の遺産で借金などを返し、今の公団住宅に移り住んだのは昨年4月。千葉にいた頃は持病の糖尿病が悪化し、どうにもならずに生活保護を受けたが、現在は受けていません。でも生活は苦しい。月に7万円の糖尿病の代金だって、いつまで払えるか不安です」》
2011年10月13日号では、グラビア記事「アパート立ち退きを迫られる『佐川クン』は『上戸彩』の大ファン」に登場。冒頭で紹介した衝撃的な写真が掲載され、やはり少ない収入に苦しんでいる心境を語った。
《「家賃の滞納で横浜から千葉、今の川崎と住まいを転々としています。この川崎のアパートだって、滞納で11月には追い出されることになっています」》
糖尿病は相変わらずで、仕事もなく、出版のあてもない小説や自伝を書く日々。文字通りの引きこもりで、数少ない慰みが「美少女アイドル」だったという。
《「一番のお気に入りは上戸彩。『3年B組金八先生』以来のファンです。ほかにお尻の映像を編集したビデオも見ています」》
19年5月30日号では記事「胃瘻でしか栄養を摂れなくなった『佐川一政』の病床」が掲載された。「胃瘻(いろう)」とは、腹部に小さな“口”を作って直接、胃に栄養を入れる方法のことだ。もはやご本人が登場することはなく、代わりに実弟が取材に応じた。
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