パリ人肉事件・佐川一政氏の生涯 本人が亡くなる前に語っていた窮状、好きなアイドルの名前も

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 眼鏡をかけた男は、テレビに映る南明奈のCMを鋭い眼光で凝視。狭いアパートの壁には、上戸彩など当時“美少女アイドル”と呼ばれた女性芸能人のポスターが所狭しと貼られていた──。事件や事故、災害の様子を伝えることだけが報道写真ではない。多くの読者を驚かせたこの1枚も、週刊新潮のカメラが捉えた「決定的瞬間」だった。

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 2022年12月1日、共同通信は「作家の佐川一政さんが死去 『パリ人肉事件』」との記事を配信した。

 佐川氏は1949年の4月生まれで、昨年11月24日に死去。73歳だった。もう一周忌かと感慨深い方もおられるかもしれない。彼の波瀾万丈の人生を、共同通信は以下のように伝えた。

《1981年、留学先のパリで知り合ったオランダ人留学生の女性を自宅に招いて射殺、その肉を食べたとしてセンセーショナルに報じられた。精神鑑定の結果、「心神喪失状態」として不起訴処分となり、84年に日本に送還された》

 佐川氏は和光大学から関西学院大学の大学院に進み、さらにパリ第3大学の大学院に留学。博士課程に在籍していた1981年6月、オランダ人留学生の女性を射殺し、体の一部を食べた。

 フランスの司法機関は精神鑑定を行い、心神喪失状態での犯行と判断して不起訴処分とした。佐川氏は84年5月に日本へ送還され、東京都立松沢病院に入院。しかし、病院側は「治療が必要な精神病ではなく、刑事責任を問える人格障害。治療は不要のため退院させる」という“診断”を下した。

 日本とフランスでは“司法精神医学”の考え方が異なることやフランスの司法機関が捜査協力を拒否するなど様々な“偶然”が重なり、佐川氏は実質的に釈放の状態となった。

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