日大“大麻汚染”の真相をアメフト部OBが初告白 「大麻を持ち込んだ真犯人」「“薬物汚染”を止められなかった部内事情」「澤田副学長の意外な評判」とは
日本大学は1日に開いた理事会でアメリカンフットボール部の「廃部」決定を見送った。出席した複数の理事から「反対」の意見が出たことなどが理由というが、当のアメフト部OBからは疑問の声も上がっている。その理由の裏にある「大麻事件」の真相とは。
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【写真を見る】日大アメフト部“大麻汚染” 廃部の「戦犯」と名指しされた当事者たちの“素顔”
「今回の一連の事件についても、その後の大学側の対応についても“情けない”のひと言しかありません。理事会で反対した理事のほか、現役部員やライバルの関西学院大学までが廃部方針の撤回を求めていますが、正直、まだ事件の全容解明も終わっていないのに“時期尚早の議論では……”との思いがあります」
こう話すのは、日大アメフト部の「黄金時代」を築いた“カリスマ指導者”篠竹幹夫氏(故人)のもとでレギュラー部員として活躍したOBの一人だ。
理事会開催日と同じ1日、最初に麻薬取締法違反容疑で逮捕・起訴された元アメフト部3年生・北畠成文被告の公判が開かれ、検察側は懲役1年6カ月を求刑。被告人質問で「アメフト部で何人くらいが薬物を使っていたか?」と問われると、北畠被告は「10人程度だったと思う」と答えた。
その言葉を裏付けるかのように11月30日、警視庁は新たに日大アメフト部3年生(21)を麻薬特例法違反の疑いで書類送検。部員の立件はこれで4人目となるが、「捜査はまだ継続中」(全国紙社会部記者)とされ、いまなお“大麻汚染”の全貌は明らかになっていない。
外国人留学生
OBが続ける。
「私の現役時代は、あの赤いユニフォームに身を包むだけで興奮に震え、栄誉を感じたものです。『大学日本一』という明確で“必達”の目標もあったため、猛練習に明け暮れましたが、日々の充実感も大きかった。現役を退いてもアメフト部関係者との交流は続きましたが、最近の部員はモチベーションなどの面で私たちの頃と大きな違いがあったのは事実。“成績が振るわないのだから『アメフト一筋』というわけにもいかないだろう”などと理解に努めるようにしていたのですが……」(OB)
日大アメフト部は1940年創部。「フェニックス(不死鳥)」の愛称で知られ、篠竹監督の時代(1959~2003年)に学生王者を決める「甲子園ボウル」で21度の優勝を飾った。しかし00年代に入って低迷し、18年の関学との定期戦で起きた“悪質タックル”問題で凋落は決定的となった。
「アメフト部のつまずきのキッカケとして悪質タックルの件が必ず挙げられますが、大麻問題の“原点”でいえば、約10年前に入部したトンガやハワイなどから来た留学生の存在を抜きに語れない――というのが、少なくない関係者の共通認識です」(OB)
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