関ヶ原の戦いから大坂の陣まで…「家康」が生涯の最後にこだわり抜いた城をめぐる

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 慶長20年(1615)5月、大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡すると、翌6月、徳川家康はいわゆる「一国一城令」を発布し、主に西国の大名を対象に、居城以外の城郭を破却させた。これによって、全国に3,000以上存在した城郭の9割が廃城になったといわれる。西国には外様の大大名が多く、8割の領土がかつて「豊臣系」といわれた大名のものだった。家康は大坂の陣の総仕上げに、こうして外様大名の軍事力の弱体化をはかったのである。

 敵になる危険性を否定しきれない諸大名の城郭を制限することの重要性に、家康は人一倍敏感だった。...

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