「“これで終わり”と言ってもすぐにまた練習を…」 ジョーダンとコービーのトレーナーが語った「最大の違い」とは?(小林信也)
コービー・ブライアントは2020年1月26日、ヘリコプター墜落事故で突然世を去った。多くの読者にはこの悲報が深く記憶に刻まれているかもしれない。41歳の若さ、バスケ界にとどまらず、多岐にわたる社会貢献が期待されていた英雄を惨事が襲った。
コービーはいま八村塁が所属するロサンゼルス・レイカーズを5度もNBAの王座に導き、うち2度はファイナルMVPを獲得したシューティングガード。チーム史上最長の20年もの間、レイカーズひと筋の選手人生を送った。08年北京五輪、12年ロンドン五輪ではアメリカの連覇に貢献した。だが、コービーは常に「歴史に残る偉大な選手の“ひとり”」と表現される。それは鳥人マイケル・ジョーダンの存在があるからだ。コービーは15歳上の超天才の背中を追い続け、抜くことを自分に課していた。だがついにジョーダンが果たした6度のNBA優勝に並ぶことはできなかった。
ジョーダンのトレーナーだったティム・グローバーは後にコービーのトレーナーを務めた。二人に深く関わった彼が証言している。
「二人の最大の違いは、マイケルは『これで終わりだ』と言えば聞き入れた。コービーは、その時はやめても3時間後にはまたトレーニングを始める勢いだった」
視線の先にいるジョーダンを超えるため、コービーは満たされることがなかった。それが、彼の成長と成功の源でもあった。
マンバ・メンタリティー
アフリカ大陸にブラックマンバという毒蛇が生息する。素早い動きで一かみ必殺の殺傷力を持つ。この毒蛇の生態を知ったコービーは「強い意志と猛烈な集中力を秘めたブラックマンバ」になりきろうと決意した。その名も『ザ・マンバ・メンタリティー(HOW I PLAY)』と題する自伝に書いている。
〈その心境(注・マンバ・メンタリティー)は、結果を求めるものではなく、むしろその結果にたどり着くためのプロセスに関わるものだ。そこに至る過程やアプローチに関するものであり、生き方であるとも言える。私はその心境が、あらゆる精進の道において重要だと心から思っている。
人々がその中にインスピレーションを見出すのを見ると、自分が一生懸命してきたことや、流した汗、朝3時に起きたこと、それらすべてが報われたように思える〉
監訳者の島本和彦はこう補足している。
〈相手に致命的なダメージを与える攻撃力、とどめを刺すまで何度でも襲いかかる執拗さ。そのような個性を自らに徹底して求める姿勢こそ、マンバ・メンタリティーの本質だと、彼自身の言葉から読み取れる〉
ブラックマンバは、コービーの愛称になった。
プロバスケの英雄は、アメリカ文化や思考を象徴する存在だと思うが、意外にもコービーはその枠から外れた存在だった。1978年8月、フィラデルフィアで生まれたコービーは6歳から13歳までの多感な7年間をイタリアで過ごしている。父親が同国のリーグでプレーしたためだ。
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