断捨離は「インスタント悟り」に過ぎない 横尾忠則が考える、本当の心の断捨離とは

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 この数年間、雑誌などが口を揃えて、断捨離、断捨離と言っています。もう終ったかなと思ったのに、今日送られてきた雑誌の特集が「『捨てる』と人生がラクになる」と、まだ断捨離は生きているのです。

 そこで、僕も一度、流行遅くれながら、この辺で断捨離について考えてみることにしました。わが家もアトリエも物に溢れて、それこそ足の踏み場もなく、断捨離をしたら、もう少しシンプルな生活が可能なのでは、と考えますが、じゃあ、何を断捨離すればいいのか、ということになるとハタと困ってしまうのです。どの物も生活必需品で、捨ててしまうと、困るものばかりです。僕の場合特に洋書の画集が大量にありますが、これらはいつか美術館に寄贈するつもりです。写真のアルバム帖も沢山あります。これは想い出がいっぱいつまった記憶の集積で捨て難い物です。

 一方で例えば不用な本なども沢山ありますが、不用と言っても、ほとんどの物が人生と分け難く結びついて存在してきたものばかりです。それを、単に物と考えるのか。そうではなく、記憶の時間体験として、自らの成長の記録や心の自画像と考えれば、たとえ家の中の空間が出来たからと言って喜んでばかりいるわけにはいかないように思うんですよね。

 物を持つことによって、大きい負担になる人は、さっさと断捨離でもなんでもして下さい。断捨離するかしないかは結局物に対する執着度の問題です。捨ててスカッとすると思われる方はそうして下さい。物の重みに耐え切れないで、息をするのもやっとという人は断捨離もいいでしょう。でも一方で中には断捨離した途端、シマッタと後悔したり、再び同じ物を買う人だっていると思います。

 この現代社会は何かにつけて生きにくいことには間違いありません。そこで生きやすい方法を考えた結果、どうも自分の所有物のせいではないかと、結論づけた人や社会が、そうだ、そうだと言い出して断捨離というインスタント悟りを得たのではないでしょうか。

 人間を苦しめる要因として欲望と執着があります。自分を苦しめる要因をそれまでは社会とか他人とか外部のせいにしていたのが、60年代以降にアメリカ西海岸のヒッピーの間で流行したスピリチュアル・ムーブメントが、一種の社会運動として人間の内面のシンプルライフを提唱するようになりました。それが時を経て日本に流れて、内面の苦悩の原因は物の所有にこそあると誰かが言い出して、現在の断捨離ブームになったんじゃないかと僕は考えるのです。

 確かに所有物の負担が大きければ心をコントロールされかねません。それに気づいた誰か、もしかしたらマスメディアが、突然、宗教者に代って、「人間の苦は物にあり」なんて言い出したのではないでしょうか。確かに所有物から距離を置くことは悪いことではありません。それに気づいたのは日本の精神世界に憧れる人達でした。この物質世界の限界をいち早く問題にしたのはニュースピリチュアリズムという精神世界の人達です。

 それが一般社会の中にメディアの装置によって広まっていったんじゃないでしょうか。そうして「物を持たない」思想がジワジワと深透していって、この断捨離というムーブメントが爆発的に流行したというわけです。だけど、ここでもう少し深く考えてみてはどうでしょうか。断捨離は「インスタント悟り」なんです。だからその実践者は物から解放されて自由になった気分が味わえるのです。

 でも本当の悟りはこんな単純なものではないはずです。お釈迦さまは、深山幽谷の山奥の洞窟の中で霞を食いながら一日瞑想するのが悟りへの道だとは言っていません。市井の欲望の中にいて、そこで欲望への執着から離れて生きてこそ本当の悟りに達し、真の覚者になると言っています。断捨離したから悟ったと思うのは勘違いで、まだ悟りには達していないのです。欲望や執着の対象物を目の前にしながら、それから自由になるのが真の悟りだということです。一方、断捨離はかゆい所を誰かに掻いてもらって気持がいいだけの話です。だからインスタント悟りだというのです。ヒッピーのドラッグと同じです。

 欲望の対象を目の前にしながら、その対象から離れて自由であるというのがお釈迦さまの悟りです。断捨離で物を捨てる必要はありません。欲望の対象について何の魅惑も感じず情も持たない、そこにそれがある、その物に対する執着が0(ゼロ)である、それが本当の心の断捨離です。何ひとつ捨てなくていいです。それの存在をあるがままに、その事実だけに接していればいいのです。お釈迦さまはこれを真の悟りと言ったのです。お釈迦さまになったつもりで、所有欲を捨てて物をただ所有すればそれでいいのです。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2023年11月30日号掲載

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