なぜ娘はタイで命を落としたのか? 「慰霊の石碑」は消え、捜査線上の男は「事件と無関係」…“時効撤廃”を求めて現地に通い続ける「父親」の孤独な闘い

国内 社会

  • ブックマーク

法相へ送った手紙の行方

 日本でもそうだが、未解決事件の遺族にとって、警察との関係は重要だ。

 康明さんはこれまで、タイの捜査当局の対応について「総合的にみて非常によくやってくれていると思います」と言い続けてきた。たとえ引っかかる部分があったとしても、メディアを通じてその気持ちを公表するのはためらわれる。それは捜査当局との良好な関係を維持し、犯人逮捕に向けた捜査に引き続き協力してもらいたいからだ。

 それでも時には、葛藤を抱えた。

 最後にタイへ行った2019年の秋、容疑者とみられるタイ人男性が急遽、捜査線上に浮上した。男性は現場近くの養豚場で働いていたが、アルコールや薬物依存で精神的に不安定に陥り、別の事件に巻き込まれて死亡したという。当時のタイの法相が記者会見を開いて説明したため、この情報は日本のメディアでも大きく取り上げられた。ところが記者会見から1ヶ月半後、DNA鑑定の結果で「男性は事件とは無関係」と判断され、捜査当局は別の鑑定方法なども参考に捜査の続行を表明した。その後の進捗については、明らかにされていない。康明さんは、戸惑いを隠せなかった。

「現場周辺は捜査を尽くしたと聞いていたので、なぜそんな近くで、(事件から10年以上が経った)今頃になって容疑者が浮かんでくるのかなと思いました。捜査当局から直接話を聞いたわけではないので、詳細を教えて欲しいとタイの法相に手紙を書いたのです」
 
 法相からの返事はなかった。

無くなった石碑への対応に落胆

 昨年11月の命日に、在タイ国日本大使館の職員が現場を訪れ、献花した時のこと。その様子を伝える写真が康明さんに届けられたが、そこには石碑がなかった。石碑は地元有力者のタイ人が建ててくれたもので、スコールで流されてしまった可能性がある。大使館を通じて現地の警察に対応を問い合わせると、こんな回答が返ってきた。

「以前からご遺族が来る前には石碑をきれいにしていますし、今後もそういう方針で対応します」

 これには思わず失望したと、康明さんが本音を漏らす。

「石碑の扱いはその程度だったのかと。ずっと折々、気を配ってメンテナンスをしてくれているのかなと思いましたが、私たちが行かなければ手を抜かれているように感じました。裏表があるといいますか……」

 普段から石碑を気にかけてくれないのなら、捜査に対する意識も似たようなものかもしれない。そんな懸念もよぎる。

「現地の警察は少なくとも年に1回は現場を訪れ、気持ちを新たにして事件の解決を誓うとか、そういう気持ちはないのかなと思ってしまいます」

 日本で発生した未解決事件の場合、管轄する警察署は被害者の命日に式典を開き、献花をした上で早期解決を誓う模様がメディアで報じられる。そんなイメージが康明さんの脳裏には浮かんでいただけに、石碑への対応には首を傾げざるを得なかった。これまで献花をしてくれたタイ人の元警察官や地元住民の存在があっただけに、尚更だった。

 タイ政府への複雑な気持ちは燻っているが、とにかく今は時効撤廃に向けて動くしかない。来年2月、コロナで遠のいていたタイに、再び渡航する予定で調整している。

「このままだったら智子は犬死にですから」

水谷竹秀(みずたにたけひで)
ノンフィクション・ライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒。2011年、『日本を捨てた男たち』で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。最新刊は『ルポ 国際ロマンス詐欺』(小学館新書)。10年超のフィリピン滞在歴をもとに「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材。昨年3月下旬から2ヵ月弱、ウクライナに滞在していた。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。