ベンチャーを大企業に育て上げるには何が必要か――千本倖生(京都大学特命教授)【佐藤優の頂上対決】
インターネット事業へ
佐藤 第二の起業はインターネット事業です。千本さんは1995年に第二電電を副社長で退職され、慶應義塾大学で教鞭を執られた後、1999年にイー・アクセスを創業されます。
千本 大学で教えていた頃、アメリカの企業数社で社外取締役を務め、日米を頻繁に行き来していたんですよ。アメリカのインターネット革命の進み方はすさまじく、高速大容量の常時接続が当たり前でしたが、日本は非常に劣悪な環境にありました。そこで安くて速いインターネットを普及させるためにブロードバンド事業を始めたのです。
佐藤 ADSLですね。
千本 はい。ADSLは、いわば中2階の技術です。本来は光ファイバーを敷設するのがいいのですが、当時はすぐには家庭にまで入らない。そこで既存の電話回線を使って、従来の100倍、200倍の速度を出す、それがADSLでした。
佐藤 あれがなければ、日本でインターネットを使って見る動画の普及は数年遅れたでしょうね。その時期の数年は、業界にとって致命的だったと思います。
千本 おっしゃる通りです。ネットでできることが、ものすごい勢いで広がっていきましたから。
佐藤 過渡期の技術であっても重要なものはある。
千本 NTTは、いずれ光ファイバーになるからやらない、と当初は決めていたんですよ。
佐藤 だから千本さんの会社や、孫正義さんの「Yahoo!BB」がADSLで席巻したのですね。
千本 孫さんがモデムをタダで配り、料金も半値にしてきたのは驚きましたね。結局、それを受けて私たちもあらゆる経費を見直し、低コスト体質にして、2003年に東証マザーズに上場します。翌年には東証1部に指定替えできたわけですから、孫さんには感謝しています。
佐藤 その次にはモバイル事業に進出されました。
千本 イー・アクセスを上場した際には、もう次の一手を考えていました。もっと大きな市場を切り開きたいと考えたのが、モバイル・ブロードバンドです。それまでモバイル端末は音声が主でデータ通信はおまけでした。それをデータ中心に事業を組み立て直しました。
佐藤 iPhoneが誕生したのは2007年です。いまは主従逆転してデータが主ですから、先見の明があったといえますね。
千本 イー・アクセス、イー・モバイルを一緒に作り上げてきたのは、投資会社ゴールドマン・サックスの日本支社にいたエリック・ガンです。彼は香港生まれでイギリスのインペリアル・カレッジに学び、ゴールドマン・サックスで最年少のマーケティングディレクターになった優秀な若者でした。
佐藤 立派な経歴ですね。
千本 実は彼は、ゴールドマン・サックスでDDI社の経営と私のリーダーとしての実力の分析をしていたのです。そして30代だった彼に、日本のネット環境をよくするビジネスをしよう、分析より実際に事業をやるべきだとけしかけた。そうしたら、会社を辞めてきたんですよ。この2社は彼に負うところが非常に大きい。
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