「物価高」も「頻発する自然災害」も“お米”を食べなくなったせいである

国内 社会

  • ブックマーク

自然災害を防ぐためにも米を食べよう

 その結果、なにがもたらされたか。日本の食料自給率は令和4年(2022)度でわずか38%(カロリーベース)にすぎない。これはG7諸国の平均の102%とくらべても際立って低い数字である。「米の自給率は100%だ」と反論されるかもしれないが、そういうことではない。日本人の食生活全体に占める米食の割合が大きく減少しているのが問題なのである。

 学校給食で子供たちをパン食に慣らすような愚は早期に改め、むしろ米食に親しむ機会を増やして水田の面積を維持していれば、日本人の食糧安全保障は現状よりもはるかに整備されていたはずだ。伝統的な米食を尊重していれば、米はいまも、輸入に頼らずとも成立する食生活の基幹になったと思われる。

 だが、現実には、米を食べる習慣は戦後の七十数年間で大きく減退し、日本人の食糧安全保障ははなはだ不安定になった。いま物価高で騒いでいるが、その原因のほとんどは円安にある。日本は食糧をはじめ生活物資を輸入に頼りすぎているので、生活が為替レートに大きく左右される。仮に日本が国際社会で孤立すれば、日本人はたちまち衣食住に窮する。そんな状況を戦後の日本は作ってしまったのである。

 それに、水田はさまざまな機能を負っていた。自然のダムとなって洪水を防ぐ。水田があると風雨が直接土に当たらないため、土砂崩れの緩衝材になる。水をろ過して浄化する作用もあり、生物多様性も保証する。近年、全国各地で自然災害がよく起こるが、水田が失われたことで被害の深刻さは増している。昨今の気候変動で、今後はさらに自然災害が頻発すると思われるが、その緩衝材になる水田が、以前にくらべると圧倒的に少ないのである。

 日本では米が、貨幣になるくらい重要だったことを忘れてはならない。米を食べるということは、われわれの食糧安全保障を整備し、物価高を押さえ、自然災害に強い国土をつくることにつながる。話が飛躍しているようで、決して飛躍していない。そのことに敏感になるべきは政府だが、現状、それが期待できないなか、まずは気づいた人から米を食べようではないか。

香原斗志(かはら・とし)
歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。