三浦瑠麗氏に勝訴した53歳「テレ朝サラリーマン弁護士」が退職して「弁護士事務所」を開業したワケ「正義を貫いて人生を終えたい」

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木原事件との出会い

 西脇さんは幻冬舎の編集者から「三浦氏との裁判の経験を本にしてみませんか」と声をかけられた3月末から、自宅ワンルームマンションに約1カ月間籠って、これまで自分が闘ってきた裁判の膨大な資料と格闘する日々を送った。

「私の裁判は、三浦瑠麗さんという有名人の名前を抜いてしまえば、日々、全国の裁判所で繰り広げられているような小さな事件でした。ただ、ニュースで取り上げられないような小さな事件であっても、そこにはいつも、傷ついて理不尽な思いをしている被害者の闘いが存在しています。自分の経験を通してそのことを多くの人に伝えたかった」

 西脇氏にとって本の執筆は、“自分”という取材対象者に向き合いながら、世間に埋もれている“声なき声”を届ける作業だったという。

「そんな体験をした後、知人から『木原誠二官房副長官の妻の元夫が変死した件を取材してみないか』と声をかけられたんです。木原氏とは東大で同級生だった縁もあった。そこでまずは調べてみようと、遺族や捜査を担当した元刑事などに話を聞いていきました」

会社に無許可で記事を執筆

 すると、どう考えてもこの件はおかしいという結論に至ったというのだ。

「他殺の可能性を否定できないのに捜査を打ち切った理由が不明で、もし圧力や忖度があったのなら著しく正義に反している。このことをもっと世に問うべきだと思った」

 そして、西脇氏は10月27日発売の「週刊現代」に〈木原誠二君、遺族の慟哭を聞きなさい〉というタイトルの記事を寄稿、独自取材で掴んだ数々の疑問を発表したのである。だが、会社に許可を取らないままの“暴走”だった。テレ朝としては前回のように「個人活動」として看過できなくなった。

「テレ朝も報道機関として木原事件を取材しています。それを飛び越して、法務部長の肩書きを持つ私が勝手に取材し、個人の見解であろうとも世に発表するのは会社人として『ルール違反』でした」

 ただ西脇氏はそれを理解しながらも、自制できなかった。

「この問題は週刊文春が繰り返し報道してきましたが、他媒体ではほとんど扱われていません。遺族の悲しみに直接触れた身として黙っていられなかったのです。もちろん、自分1人の力で全てをひっくり返せるほどの新事実を突き止めたわけではありません。でも少しでも多くの人にこの件を知ってもらうためなら、職を失っても惜しくないと思った。最後は自分から辞める覚悟を決めて、講談社の編集者と記事を作って勝手に出してしまいました」

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