伝説の69連勝・双葉山が達した「後の先」の境地 詩人のジャン・コクトーも魅了(小林信也)
コクトーも魅了
双葉山の連勝が始まったころ(36年)来日し大相撲を見た詩人のジャン・コクトーが『僕の初旅 世界一周』(堀口大學訳)に書いている。
〈彼等は向ひ合つて身をかがめ、何か絶好な一瞬を、平衡の奇蹟を、気合の投合を待つものらしい。(中略)行司はこれ等実りのない試みに十分間を与へる。不意に電流が通じる、巨大な肉体が、打ち合ひ、掴み合ひ、叩き合ひ、蹴合ひ、地から抜き合ふと見る間に、写真師の稲妻一閃、人間の巨木がマグネシュウムの雷に根こそぎされて土俵の下へころげ落ちる〉
立ち合いの妙味はフランスの芸術家にもインスピレーションを与えた。外国人に指摘されて初めて気付くのだが、行司は「はっけよい」と言って軍配を返しても、「よーい・どん」とか「始め!」とは言わない。立ち合いはあくまで対戦する力士同士に任されている。その間と呼吸を制するところに相撲の奥義がある。後の先とはつまり、体を動かす以前に、気や気迫という目に見えない力の発動によって勝負は決まるという、日本文化ならではの境地を鮮烈に示す場面なのだ。
後の名横綱・栃錦も双葉山に衝撃を受けたひとりだ。それは彼の初土俵の場所だった。同じ春日野部屋の先輩・鹿嶋洋が結びの一番で相撲を取る。世話係として栃錦は花道の奥にいた。
双葉山は結び前の一番で安藝ノ海に敗れたのだ。
「あの相撲をこの目で見られたことは、土俵人生を通じての財産だった」
視線の先で、“双葉山の世紀の敗戦”が起こった。70連勝が阻まれた瞬間から、土俵には座布団だけでなく、酒の瓶や暖を取るための火鉢までが投げ込まれ騒然となった。その異様な空気が、まだ13歳だった栃錦を激しく突き動かした。
大相撲は戦時中も続けられ、双葉山は戦火の時代を横綱として生きた。43年1月場所と5月場所を全勝で連覇。それを最後に優勝から遠ざかり、45年11月場所を前に引退した。
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