巨人・阿部新監督も続けるか? 就任1年目でリーグ制覇を成し遂げた「名将列伝」、“原監督の恩師”やパ・リーグで無双した「V9の頭脳」も
悲願の初Vをもたらした「広島の名将」
一方、当初は監督候補ではなかったのに、思いがけずお鉢が回ってきて、1年目に大輪の花を咲かせた指揮官もいる。1975年、広島に球団創設26年目の初Vをもたらした古葉竹識監督もその一人だ。
同年はNPB史上初の外国人監督、ジョー・ルーツが開幕から指揮をとっていたが、4月27日の阪神戦で起きた判定トラブルをきっかけに、わずか16試合で電撃退団。急きょ1軍守備コーチだった古葉が監督に昇格した。
「ルーツ監督の機動力を活かした緻密な野球を受け継ぎ、さらに積極的な野球を目指す」と宣言した新監督の下、前半戦を3位で折り返した広島は、9月に阪神、中日との三つ巴の首位争いから抜け出すと、10月15日、巨人を4対0で下し、悲願の初Vを達成。10年の長きにわたって在任し、リーグV4回、日本一3回の名将となった。
その古葉監督の後任・阿南準郎監督も、当初は監督候補ではなかった。1985年シーズン中、古葉監督が辞意を表明すると、球団は4番打者の山本浩二に選手兼任監督を要請したが、「来季も現役に専念したい。2足のわらじは履けない」と断られたため、長年コーチとしてチームを支えてきた阿南に“つなぎの監督”として白羽の矢が立った。
初めは「私は器じゃない。監督の補佐役ならできる」と難色を示した阿南コーチだったが、重ねて説得されると、「お家の一大事とあらば」と受諾。翌86年はストライクゾーンが低めに変更されたことも、エース・北別府学をはじめ、リーグきっての投手陣への追い風となり、2年ぶりのリーグVを達成した。
リーグVを果たしたのに1年で辞任した監督も
2001年オフ、西武の新監督に就任した伊原春樹も、次期監督の要請を受けた伊東勤が現役続行を望んだ結果、長年のコーチ歴から“西武野球”に精通している実績を買われ、バトンを託された。翌02年は自ら三塁ベースに立っての采配が冴え、90勝49敗1分というぶっちぎりの成績でリーグを制している。だが、伊原監督以降の西武は、04年就任の伊東監督、08年就任の渡辺久信監督も1年目に栄光を手にしながら、3人ともその後は、じり貧に終わっている。
また、1960年にコーチから内部昇格で大毎の監督に就任した西本幸雄は、1年目にリーグVをはたしながら、日本シリーズでの采配をめぐって永田雅一オーナーと衝突し、たった1年で辞任した。
このほか、2リーグ制以降では、1950年の毎日・湯浅禎夫、1961年の巨人・川上哲治、1998年の横浜・権藤博、2004年の中日・落合博満、2012年の日本ハム・栗山英樹、2015年のソフトバンク・工藤公康とヤクルト・真中満も就任1年目のVを達成。
真中監督は、前出のオリックス・中嶋監督同様、2年連続最下位に沈んだチームを14年ぶりのリーグ優勝に導いた。2010年のロッテ・西村徳文監督は、初年度に史上初のシーズン3位から下剋上の日本一を達成している。
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