【NHK紅白】島会長時代に本気で検討された“打ち切り話” カンフル剤もなくなって、今後どうする
歌が世代を超えられなくなった分岐点は90年前後
状況が大きく変わったのは1990年前後から。ここに分岐点がある。歌が世代を超えられなくなった。さまざまな理由が考えられるが、ウォークマン(ソニー)などの携帯プレイヤーが広く普及したことが大きい。音楽を共有する時代は終焉し、世代ごと、あるいは個人ごとに固有するものになった。
この傾向は2001年のiPodの登場や2007年のiPhoneの発売、スマホの普及によって、より強まる。有線放送で一方的に歌謡曲や演歌を流していた喫茶店が、相次いでカフェに姿を変えたことも影響した。興味のない楽曲を耳にする機会が激減した。
「紅白」に出場する山内惠介(40)の演歌「海峡浪漫」(2023年)を知る若者はごく少数ではないか。有線放送に力のあった時代なら違ったはずだ。初出場するMrs.GREEN APPLEの「ロマンチシズム」(2019年)を耳にしたことのあるミドル層以上も少ないはず。グループ名すら知らない高齢者もいるだろう。
聴く側の世代やファン層が全く異なるアーチストを無理に同じステージに立たせているのが、今の「紅白」なのである。
いかに無理かは、野外フェスティバルにたとえるとよく分かる。野外フェスには音楽性に共通点を見出せるアーチストたちが揃う。ロックフェス、演歌フェスと分かれている。「紅白」のようにロックと演歌、韓流アイドルを混ぜ合わせたフェスを企画するプロモーターはいない。
「紅白」打ち切り論が立ち消えになった理由
歌が世代を超えられなくなった分岐点に当たる1990年前後、NHK内には「紅白」打ち切り論があった。同年1月2日、当時の会長・島桂次氏(故人)が「公共放送にふさわしい大晦日の番組を職員とともに開発していきたい」と声明した。事実上の打ち切り宣言と捉えられた。
報道畑の島氏はずっと「紅白」に冷ややかだった。これに危機感を抱いた制作現場が起爆剤的な意味合いで1989年から2部制にしたが、同年の2部の世帯視聴率は47.0%(2020年4月までの基準は世帯視聴率、ビデオリサーチ調べ、関東地区)。視聴率の測定が始まった1962年以降で最低だった。「紅白」打ち切りの流れは加速する。
あのころは大晦日に放送されていたTBS「輝く!日本レコード大賞」も1989年の世帯視聴率は過去最低の14.0%。「紅白」が2部制となり、その1部と放送時間帯が重なったとはいえ、あまりに低い視聴率だった。以来、「レコ大」は一度も20%台を回復していない。
当時は通常の音楽番組も苦境に追い込まれた。視聴率不振により、TBS「ザ・ベストテン」が終了したのも1989年である。やはり岐路だった。
「紅白」は島氏の声明から数年のうちに打ち切りになると見られていた。だが、1991年に島氏が失脚したことから、風向きがガラリと変わる。後任会長は島氏のライバルで制作畑の川口幹夫氏(故人)。その途端、「紅白」打ち切り論は立ち消えになった。議論はなかった。
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