「死亡説」も出ていた池田大作氏、晩年に何が起こっていたのか 脳梗塞を患い“寝たきりに近い状態”に

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 創価学会を日本最大級の教団に育て上げた池田大作名誉会長が95歳で死去。国政にも影響を及ぼしたドンの正体は? 野望の果てに見た風景とは? その機密性を「鶴のカーテン」と評された、巨大教団の内側に迫る。

 池田大作名誉会長が人前に立ったのは2010年が最後とされている。以来13年間、機関紙・聖教新聞がその“健在”を伝えてはいたものの、実際の目撃情報は途絶。「死亡説」が何度も人々の口の端に上った。ひた隠しにされた晩年に何があったのか。

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 池田名誉会長死去。その衝撃的な一報が流れた11月18日、創価学会はYouTubeの公式チャンネルに一本の動画をアップした。長男の池田博正主任副会長(70)が原田稔会長(82)と共に出演。父親が15日夜半に老衰のため亡くなったがその2日後に家族葬を済ませており、さらに18日午前には荼毘(だび)に付したと伝えたのである。

遺体の状態を重視

 18日は創価学会の創立記念日でもあった。記念行事を優先させたいとの遺族の意向に配慮し、公表を差し控えたというのが表向きの説明だ。しかし、

「荼毘に付される前の公表だと、学会員が東京・新宿区信濃町の本部や自宅に殺到しかねないと、原田会長たちは恐れたのではないか」

 とは、かつて創価学会の教えを熱心に信奉していた元学会員。というのも、

「学会ではご遺体の状態が重視されます。“半眼半口”、つまり目も口も半開きで、かつ色が白く、死後硬直のない状態が理想とされている。そうしたご遺体の状態が信仰に生きた者の証しなのです。信仰のない人間には分からないかもしれませんが、学会員なら名誉会長のご遺体に一目お目にかかりたいと考えるはずです」

 かくしてその死は3日間、学会員にも秘匿されたのである。もっとも、池田氏は生前から久しくその姿を人前にさらしてこなかった。

「池田氏が公の場に現れたのは10年11月、アメリカの大学から博士号を授与される式典に出席したのが最後だといわれています。毎月の本部幹部会にも、その年の5月に参加して以降、一度も出席しませんでした」(政治部デスク)

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