前代未聞!「契約金以外に、土地100坪」を要求し、世間を驚かせた“ドラ1左腕”

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“打の岡田、投の木田”

 ドラフト指名選手たちの入団交渉も順調に進んでいるが、かつて契約金以外に土地100坪という異例の要求をして、世間を驚かせた大物がいた。1979年のドラフトで日本ハムに1位指名された木田勇である。【久保田龍雄/ライター】

“打の岡田彰布(早稲田大)、投の木田(日本鋼管)”と投打の実力者2人が目玉になった同年のドラフトは、6球団競合の岡田が意中の阪神に指名されたのに対し、在京セが希望の木田は、巨人、大洋が揃って抽選くじを外し、皮肉にもドラフト前に指名を断った日本ハムが交渉権を獲得した。

 前年も意中の大洋がくじに外れたことから、「遠い」広島の1位指名を拒否し、1年待ったアマチュアナンバーワン左腕は、「僕の思いどおりかなと思ってたんですよ。だって、在京のセは3分の2だったですもんね。それが……」と2年連続のあて外れに落胆したが、25歳という年齢からも、さすがにもう1年待つのはためらわれた。

「ラストチャンスとは思わないけど、歳を考えれば今年が最後という気もしますから、とりあえず日本ハムの方から連絡が入れば、お会いしようと思います。在京セの希望の半分、在京だけは叶えられたんですからね」

 自らに言い聞かせるように語った木田は12月4日、2度目の交渉で、「パ・リーグにはあまり魅力を感じていなかったんですが、自分で活躍してパ・リーグを盛り上げようという気持ちはあります」と一転入団に前向きになった。

 ところが、同10日、日本ハム側が阪神・岡田に引けを取らない契約金6000万円、年俸540万円(推定)の条件を提示すると、木田は「契約金以外に川崎周辺の土地100坪が欲しい」と“前代未聞”の付帯条件を口にした。

「土地が欲しければ、自分の腕で手にしろ」

 当時、木田は横浜市郊外の3LDKの家に両親と3人で住んでいたが、手狭なうえに本拠地・後楽園まで車で2時間半かかる。そこで、「両親が後楽園に気楽に(試合を)見に来れるよう、自分が通うのにも近い所に家を持ちたい」と望み、「日本ハム所有の土地があれば、世話してほしい」と頼んだことが真相だった。

 だが、この発言が「何とまあ、法外な要求をするんだろう」と、ささやかなマイホームですらなかなか手に入れることのできない庶民の反感を買ってしまう。

 世間の反響の大きさに、木田は同13日、「周りのムードや今まで取ってきた自分の態度を考えて、オーバーだと思いましたので、土地はあきらめました」と前言を撤回。大社義規オーナーから「土地が欲しければ、自分の腕で手にしろ」と檄を飛ばされると、「それならば、この左腕で1年に1本ずつ柱を買うつもりで頑張ります!」と力強く宣言した。

 そして翌80年、木田は「目標は最低でも10勝」の公約を遥かに上回るめざましい活躍ぶりで、“時の人”になる。

 4月6日の開幕2戦目、西武戦で、1失点完投でプロ初勝利を挙げると、同25日のロッテ戦でプロ初完封を記録するなど、4月は4勝0敗、防御率0.79の好成績で、早くも月間MVPに輝いた。

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