岸田首相が池田大作氏弔問で政治不信深まる 「四月会」と反創価学会キャンペーンをどう説明するか

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政教一致の政権

 発言の主は誰なのか。岸田政権を批判する立憲民主党や日本維新の会の議員だろうか。いや、それは違う。あろうことか当時は自民党の衆議院議員だった、亀井静香氏が週刊新潮の取材に応じて語ったコメントなのだ(註1)。

 亀井氏が、なぜこれほど創価学会や公明党を糾弾していたのか、今ではピンとこない方もいるだろう。ベテランの政治記者が解説する。

「亀井さんが上記の発言を週刊新潮に対して行ったのは1994年5月のことで、当時は羽田孜さんが首相でした。与党は非自民・非共産8党派という連立政権だったので、公明党は与党だったのに対し、自民党は野党でした。つまり自民党と公明党は敵対関係にあり、自民党の国会議員は公然と公明党や創価学会を批判していたのです」

 振り返れば、1993年7月の衆議院議員選挙で自民党は過半数割れに追い込まれた。8月に細川護熙氏が首相に就任すると、自民党は「憲法20条を考える会」という勉強会を発足させた。創価学会を支持母体に持つ公明党が連立政権に参加している以上、細川内閣は政教分離ではなく政教一致という批判を行った。

“反創価学会キャンペーン”

「憲法20条を考える会」の初代会長は亀井氏。96年に亀井氏は入閣したため、会長職は白川勝彦氏が引き継いだ。

 参加した国会議員は約50人。幹事や顧問には、野中広務氏や石原慎太郎氏も名を連ねた。2人とも“反公明・反学会”の立場を鮮明にしていたことで知られる。今となっては興味深いが、10人を超える副代表には麻生太郎氏、9人の事務局には安倍晋三氏の名前も記載されていた。

「この『憲法20条を考える会』を母体として、1994年5月に『四月会』が誕生しました。創価学会に批判的な宗教法人や学識者が中心メンバーでした。設立総会には自民党総裁だった河野洋平氏、社会党委員長だった村山富市氏、新党さきがけの代表だった武村正義氏が出席し、大きな注目を集めました」(同・記者)

 自民党は「憲法20条を考える会」や「四月会」における議論も参考にし、【1】創価学会の税金問題、【2】政教一致の問題、【3】欧州の創価学会インタナショナル(SGI)など、海外組織への送金問題──などを問題視した。

 そして自民党の機関誌「自由新報」で“反創価学会キャンペーン”を展開し、国会でも池田大作氏の証人喚問を求めるなど強硬姿勢で臨んだ。

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