市民ボランティアはゼレンスキーも政府も全く信用していなかった…食糧不足について、彼らが明かした原因とは【ウクライナ最前線レポート】
敵まで3.5kmの地点で支援活動を行う20歳
前線に近い別の町で、砲撃跡の大きな穴のあいた道を走りながら、家々を回って食糧を配布するボランティアがいた。マックスという20歳の若者で、大学でITを学んでいたが、ロシアの侵攻直後から休学し、個人で支援活動をはじめたという。いわば「ひとりNGO」。
あたりでは砲撃の音がひっきりなしに響き、道路脇には地雷原を示すドクロマークの看板がつづく。対戦車用地雷が3列敷設されているのが見えた。これらはウクライナ軍がロシア軍に対する防御として敷いたという。最前線に近いことを実感する。
マックスさんが車を停める音を聞いて村人が集まってきた。こうした前線に取り残された住民をマックスさんは週2回のペースで支援する。行政の手が届きにくいこれらの集落では、市民ボランティアに暮らしの多くを頼っていた。
巡回中の兵士に前線までの距離を聞くと「敵の部隊まで3500m」だという。今回のウクライナ取材で、ここは私たちがもっとも前線に近づいた地点となった。マックスさんはさらに先に進んで、残っている人を探すというが、危険なので私たちはここで取材をやめた。
マックスさんは活動するなかで何度も危ない目にあってきた。実は私たちが取材した2日後、マックスさんからわずか30mのところに迫撃砲弾が落ちて危うかったそうだ。それでもこの活動をやめる気はない。「だって、ここは僕の国です。僕の家族や同胞、この国の子孫のために、自由を失うわけにはいきません」とマックスさんは淡々と言う。
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