「少しの迷惑も許されない窮屈な社会になってきた」 渋谷ハロウィンの規制、エスカレーターの歩行禁止(古市憲寿)

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 東京のエスカレーターで歩くときは右側、大阪では左側、では名古屋は? 正解は「止まる」らしい。この度、名古屋市でエスカレーターで歩くことを禁止する条例が制定された。罰則はないが、「なごやか立ち止まり隊」という巨大な注意書きを背負った集団がエスカレーターの右側に立ち、歩こうとする人を人力で阻止しているという。

 名古屋に限らず、日本全国でエスカレーターの歩行禁止が呼びかけられている。接触や転倒の危険があるため両側に立ったまま乗ってほしいというのだ。

 興味深いのは、日本お得意の「他の国では常識らしいから、周回遅れで取り入れてみようかな」という政策ではない点である。

 ニューヨークでもロンドンでも、世界の大都市でエスカレーターの片側は、歩く人のために空けられている。しかも尋常ではない速さで人々はエスカレーターを駆けていく。

 そもそもエスカレーターの速度自体が違う。ロンドンの地下鉄駅の標準速度は毎秒0.75メートル、ソウルで毎秒0.78メートル、香港は毎秒0.8メートルだという。一方、日本では毎秒0.5メートルが基本。世界的に見て非常に遅いのだ。

 しかも歩く速さも遅い。少し古い2007年の調査だが、世界32都市の歩行者の速度を比べると、東京は19位だった。確かに海外から帰って来るたび、東京の「遅さ」が気になる。全ての動作が緩慢に感じられるのだ。

 ただでさえ人々の歩みは遅く、エスカレーターの速度も遅いのに、そこで歩くことも禁止される。なぜこうした政策が実施に移されるのか。一番の理由は高齢化だろう。足腰の弱い高齢者の割合が増え続けるわが国で、エスカレーターをさっそうと駆け上がる企業戦士のような存在は、もはや求められていないのだ。

 確かにエスカレーターの歩行には危険が伴う。だがそれを言うなら、エスカレーター自体が危険だろう。ただの階段でも転倒する人がいるのに、その階段が動くのだ。実際、持っていた袋のひもがエレベーターに挟まれ指を切断する事故なども起きている。

 危険を理由に規制を広げていくと、そのうちあらゆる社会行動が制限される可能性がある。

 渋谷のハロウィン規制もそうだが、少しの迷惑も許されない時代になってきた。それが行き着くと、民主主義自体が危機に陥る可能性もある。たとえば大規模なデモ行進はうるさいし、お店にとっては営業妨害になりかねない。何かの弾みで暴動に発展する危険性もあるだろう。つまり迷惑や危険を排除したい現代的な価値観とデモは相性が悪い。そう考えると、デモが規制される時代が来る可能性さえある。さすがに憲法で集会や表現の自由は保障されているから、完全禁止は難しいだろうが、人々はデモに、より冷たい視線を向けるようになっていくだろう。

 少しでも危険なもの、迷惑そうなものを排除した先には、どのようなユートピアが待っているのだろうか。安全で清潔で完璧な社会が実現するといいですね。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2023年11月23日号掲載

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