日本の農畜水産物は「第二の自動車産業」になる――安田隆夫(パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス創業会長兼最高顧問)【佐藤優の頂上対決】
人と同じことはしない
佐藤 それにしても、さまざまなアイデアは、パッと思いつくものなのですか。それとも論理的に詰めて生み出すものなのですか。
安田 そのあたりは渾然一体として、よくわかりませんね。ただ思いつく前から、いろいろ考えていることは確かです。
佐藤 あることを考え続けていると、目に入るものが違ってきます。
安田 ええ、常に考えていないといけない。それから思いついても事業ですから、その後はかなりロジカルに詰めていきます。
佐藤 ドン・キホーテは、圧縮陳列や深夜営業によるナイトマーケットの開拓などを行い、他に類のない独自の業態を作り上げました。安田会長の着眼力や発想力の源泉はどこにあるのでしょう。
安田 人と同じことはしない、という気持ちは強く持っていますね。29歳で最初の「泥棒市場」を創業した時、私は何も持っていませんでした。お金もなければ、地位も名誉もない。また特技もなく、家族もいません。まあ、何もない人間が身の程知らずに、経営者になりたいという学生時代からの思いだけ抱えて生きていたんですね。
佐藤 大学卒業後、一度、不動産会社に就職されています。
安田 独立しやすそうな業界ということで足を踏み入れたんですよ。栃木県那須の別荘地の販売をしていましたが、もともと仕事熱心ですから、プッシュ型営業でどんどん売ってしまい、成績はよかった(笑)。
佐藤 その頃から商才を発揮されていたのですね。
安田 ところが1973年の第1次オイルショックで、まったく売れなくなった。そして会社が倒産する前に辞め、しばらくブローカーなどをしてから起業します。当時、私にできるのはモノを売ることだけでした。ただ必要のないものを、プッシュ型営業で売りつけることだけはしたくなかった。この時思いついたのが、ディスカウントショップだったんですよ。
佐藤 「泥棒市場」とは思い切った名前をつけましたね。
安田 当時はダイエーや現在のイオン、イトーヨーカ堂、マイカルなどのチェーンストアの全盛期で、小売で参入する余地はありませんでした。だから自分で新しい業態を作って勝負するしかない。そこで本部で集中仕入れをして各店で同じように販売するチェーンストアを真っ向から否定するやり方をしようと考えたのです。そこで名前も目立つように「泥棒市場」にした。「看板に泥を塗る」という言葉がありますが、最初から自分で泥を塗ったのは私くらいでしょう(笑)。
佐藤 私は最初にドン・キホーテに行った時、懐かしさを感じました。昔、“よろずや”という店がありましたでしょう。
安田 ああ、ありましたね。
佐藤 ええ、あれもいろいろな商品が天井からぶら下がっていたりして、あちこちに隠れている。それが子供心に楽しかった。同じ雰囲気がドン・キホーテにはあります。
安田 佐藤さんが感じた郷愁や宝探しの感覚は、それぞれ私どもの店舗を構成する要素の一つだと思います。ところが、そうした店作りでは多店舗展開ができないとされていた。確かに「泥棒市場」は1店舗でしか成立しませんでしたが、ドン・キホーテは、各店舗に権限を委譲して、それぞれが個性を出しながら多店舗展開していきました。
佐藤 安田会長はまさにファーストペンギンといえますね。
安田 私としては、何はともあれ、人と同じことはしない。人と同じことをやるならしない方がいいと思っています。私は、佐藤さんにも同じものを感じるんですよ。佐藤さんの『国家の罠』を面白く読みました。長期の勾留でも拘置所では好きなだけ本が読めると考え、取り調べでは検事を困らせ楽しんでいる。そして出所したら、その様子を本にされて外務省を慌てさせた。
佐藤 東京裁判で東條英機の頭をたたいたために精神に異常をきたしたとされる大川周明は、『安楽の門』という自伝を書いています。その第1章は、「人間は獄中でも安楽に暮らせる」です。また帝政ロシア期のレーニンやスターリンも「監獄は革命の学校」だと、それなりに楽しんでいたんですよ。
安田 何て痛快なことをしてくれる人だろうと思いましたね。私の見るところ、佐藤さんのやられることは、すべて本質を突いている。でも社会の常識とは違うんですよ。
佐藤 検察の国策捜査は社会の常識を背景に行われます。
安田 私にとっての本質は、顧客最優先主義であり個店経営で、社会の常識はチェーンストア理論でした。それをやらないと儲からないし、拡張もできないとも言われた。実際、ある時期までそれは正しかった。でも日本社会が成熟期に入り、GDPはどんどん縮小し、また人口減となっていく中では、もう捨て去らなきゃいけない方法論だったんですよ。
佐藤 それは今期のPPIHグループの売り上げが過去最高のほぼ2兆円になったことで証明されています。
安田 われわれの業態は独自で、いまだに類似店が出てきていません。また、店舗の従業員は優秀で意欲がある。ドン・キホーテの店舗作りには、ポップ一つ取ってみても非常に手間がかかります。現場の士気が高くなければ、こうはならないですね。
佐藤 いまは日本の事業にどのくらい関わっておられるのですか。
安田 ほとんど経営陣に任せていますが、大きな戦略などにはそれなりに関与しています。私も74歳です。徐々に退いていこうとは思っているものの、まだまだ仕事はありますし、何より仕事が好きだから困っているのですよ。
[4/4ページ]