【松田優作の生き方】強さの中に「憂い」を秘め、心のどこかに虚無を宿して…俳優というより役者というほうがふさわしい理由

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「新人賞は勢いで取れる」

 たしかに、松田のような「強い男」には憧れてしまう。だが、単に強いだけではない。ジェームズ・ディーン(1931~1955)のように強さの中に「憂い」とか「哀しみ」を秘めているというのだろうか。人気漫画「北斗の拳」の主人公ケンシロウやカンフー映画「燃えよドラゴン」で主役を演じたブルース・リー(1940~1973)のように、相手に勝っても偉ぶったりせず、悲しい目を松田はしていた。心のどこかに虚無を宿していたに違いない。

 それにしても、身長185センチのしなやかな肉体は見事だった。ドラマ「太陽にほえろ!」でジーパン刑事を演じたときは、私も中学生ながら「何じゃ、こりゃあ!」などと伝説的な殉職シーンのまねをしたことがある。くわえたばこは年齢的にNGで、ニヒルでぶっきらぼうなイメージまでをまねするのも難しかったが、ハードボイルドな生き方には学ぶことは多い。

 水谷豊(71)や桃井かおり(72)など多くの友人にも恵まれた。

「そりゃあ、怖かったですよ。何ごとにも真摯な人で、私がそのときどんな状態でいて、何を考えているのか、顔を見ただけで見通してしまうんですから」

 と語っていたのは、優作の妻・美由紀(62)を通して家族ぐるみの付き合いを続けていた女優・原田美枝子(64)である。原田が映画「火宅の人」(1986年)で日本アカデミー賞助演女優賞を受けたとき、

「新人賞は勢いで取れる。でも、お前が28歳でもらったこの賞は、自分を変えようと努力した結果だ。良かったな」

 と珍しくほめてくれたという。

 原田が松田に最後に会ったのは、映画「ブラック・レイン」の米国での撮影が終わって間もなくだった。「俺はやるぜ」。そう自信たっぷりに語っていた松田の言葉が印象的だった。ハリウッドで学んだことを日本映画に注ぎ込んで、業界全体をおもしろく、活性化しようと意気込んでいたに違いない。

 松田優作という男は、俳優というより役者と言うほうがふさわしい。俳優は職業。別に素顔があり、クールなイメージがあるが、役者はその人の生いたちや人生観を抜きに語ることは難しいからである。仕事を離れても人付き合いは良く、面倒をよくみた。厳しいけれど後輩たちにはずいぶん頼られたに違いない。

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