「岐阜市」衰退のワケは「路面電車」廃止のせい? 同じ名古屋圏でも大活躍のエリアが

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豊橋市民の尽力

 そうした豊橋市民の思いは、取材を通じて伝わってきた。筆者は2005年に『日本全国 路面電車の旅』(平凡社新書)を上梓したが、その執筆にあたって豊橋鉄道や豊橋市職員などに取材した。その取材では豊橋鉄道の車庫も見学させてもらったし、イベント時に運行する3100形の車内にも立ち入らせてもらっている。

 3100形の車内には伊奈彦定さんが描いた市電の絵が飾られており、案内してくれた職員が「伊奈さんにも話を聞いたほうがいい」とアドバイスされた。伊奈さん豊橋在住の画家で、とよはし市電を愛する会の副会長のほか、豊橋創造大学短期大学部で非常勤講師とし教壇にも立っていた。

 当時、筆者は伊奈さんのことをまったく知らなかったが、3100形の車内を案内してくれた職員さんからNPOとよはし市電を愛する会の連絡先を教えてもらった。そして、とよはし市電を愛する会へと電話すると、電話口に出た担当者が伊奈さんへと取り次いでくれ、その日のうちに伊奈邸へ伺うことになる。

 急な訪問ながら、伊奈さんは市電についてたっぷりと話したうえ、青木市長が市電を残すために尽力した逸話についても語ってくれた。

 伊奈さんをはじめ、多くの豊橋市民の気持ちが市電を存続させる力になっていることは言うまでもない。そして、その気持ちを受け止める行政や豊橋鉄道が市電を存続させるために利便性向上にも取り組み、それが施策にもはっきりと表れている。

 例えば、豊橋駅東口と市電の駅前電停は駅のペデストリアンデッキで直結している。そのため、JRや名鉄と市電を短時間で乗り継ぐことができる。しかし、市電が豊橋駅東口の駅前に乗り入れるようになったのは1998年からで、それ以前は200メートル離れた位置に電停があった。

 わずか200メートルとはいえ、JRや名鉄と市電の乗り継ぎは少し面倒だった。電停の移設により、その面倒は解消。路面電車の使い勝手は向上した。

 その一方、駅前電停が200メートル移設した影響で、駅前に広がる繁華街へアクセスが不便になるという副作用を生んだ。そうした事情を踏まえて、2005年には駅前―新川間に駅前大通という新電停を開設した。

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