「岐阜市」衰退のワケは「路面電車」廃止のせい? 同じ名古屋圏でも大活躍のエリアが
豊橋では生き残った事情
他方、同じ名古屋圏に位置する豊橋市にも路面電車が運行されている。豊橋市の路面電車は私鉄の豊橋鉄道が運行している。豊橋鉄道は岐阜の路面電車を運行していた名鉄の系列会社で、総延長が約5.4キロメートルの軌道線と約18.0キロメートルの鉄道線を運行している。軌道線は、いわゆる路面電車のことだが、その規模はかなり短い。
そんな小規模な豊橋鉄道の路面電車だが、1982年に井原―運動公園前間が新規開業している。当時、すでに路面電車は時代遅れの公共交通と目されており、各地で廃止・撤去されていた。
豊橋市でも市電の全廃が盛んに議論され、1973年には駅前―市民病院前間が、1976年には新川―柳生橋間の柳生橋支線が廃止されている。豊橋市も他都市と同じ道を歩んだわけだが、全廃は回避された。路面電車を廃止する社会的なトレンドに対して、当時の市長だった青木茂は市電の存続を模索した。
なぜ、青木市長は路面電車の存続を模索したのか? 青木は2003年に没し、筆者は直に話を聞く機会はなかった。そのため、青木を知る人たちから話を聞くしかできなかったが、それらの話を総合すると、青木は単に路面電車が大好きだったという結論に至る。
しかし、それは青木の郷愁というだけではなかった。青木市長は全廃の危機に直面した市電を何とか存続させようと、路面電車が元気な九州の都市を視察して回った。そして、その視察をもとにして市電の活用方法を模索したという。
そんな青木市長の尽力もあり、豊橋では市電が生き残った。それどころか、逆に0.6キロメートルという短い区間ながら逆に延伸を果たしている。
豊橋市の路面電車は過去にも市営だったことは一度もない。それにも関わらず、豊橋市民からは“しでん”という呼称が定着している。豊橋市を走る路面電車が“しでん”と呼ばれる理由は「市内電車を略して市電に転化した」という説や「名古屋市に市電が走っていたから、豊橋市でも同じように市電と呼ぶようになった」と諸説あってはっきりしない。由来はともかく、豊橋市電が市民から親しまれていることは揺るぎない事実だ。
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