「諦めること」で人生を切り開いてきた横尾忠則 「“一見おいしいけど実は悪魔”なことから逃げてきた」

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 今回も前回に引き続いて、帯津良一先生の話です。ご本の中に「諦めるということ」について書かれた文がありました。先生は「ナイス・エイジングの立場からすると、歳をとって諦めることを前向きにとらえたい」と語っておられます。さらに先生は、九鬼周造さんの書『「いき」の構造』の中から引用されています。諦めとは、「運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心である」と。

 僕は歳を取る前から、つまり子供の頃から、何かメンドー臭いことに出会ったり、そうなるかな、と思うと、すぐ諦めてしまう癖がありました。関西では、諦めるという意味で、「しゃーないやんケ」とか「ほっときィ」とか、「手ェ引きィ」という表現を日常的に使用していたように思います。メンドー臭いという発想は、物事の成り行きに、なんとなく暗雲が垂れこめている時に出てくる気がします。すると僕は「ヤバクなる」と予知するんですかねえ、「止めとこォ」というふうになるのです。そんな時、不思議な快感が僕の中に起こります。メンドー臭いことには関わりたくないという僕の防衛本能なのかも知れませんが、この時の判断は、自分の潜在的な欲望から逃げたいと思っているのかも知れません。

 メンドー臭いことを引き受けることで大きい収益が得られる場合もあります。むしろ、そのような魅力的な対象である場合が多々あるのです。でも、人間関係がやゝこしくなって、金銭的にもまたメンドーなことが起こるかも知れない。その時、悪魔の囁きに従がってそのこと(仕事)を引き受けると、相手の自我と戦うことになりかねません。もし、深入りしてしまうと、もう抜けられません。だから、「ヤバイかも?」と感じたら、いつでも手を引ける態勢にしています。ここで自我を主張すると、欲に振り廻されて、ヘトヘトになって、結果としては何の利益も得られません。

 皆様はこのような局面にぶつかるというようなことはありませんか? 生きていると目の前に利益がぶら下っていることも多いですが、そこでその利益を諦める引きの術が必要になってきます。そういう意味では、僕は結果的に、「おいしい仕事」を捨ててきましたが、このおいしい仕事には時には罠があります。その罠から身を守ってきたとも思います。このような事態から手を引くことを『「いき」の構造』の中で九鬼さんは「現実に対する独断的な執着を離れた瀟洒として未練のない恬淡無碍(てんたんむげ)の心である」と書いておられます。

 執着心の強い人は、そう簡単に諦めることはできないかも知れませんが、僕は不思議と子供の頃から、何か難問にぶつかると「しゃーないやんケ」と言って、すぐ諦めてきたように思います。当時から、あんまり野心がなかったのかな。可愛げのない子ですよね。

 僕の場合は多分、両親が先き廻りして、なるべく僕から厄介な問題をブロックしてくれていたからかも知れません。次のエピソードは色んな所で何度か書いてきたことですが、高三の時、美大受験の際、かつての美術の先生が高校を退職して東京に帰っていたので、僕はその先生を頼って先生の東京のアパートにころがり込んで一週間ばかりデッサンの練習をしていました。しかし、いよいよ明日が受験という前夜、先生から「明日の受験は止めて郷里に帰りなさい」と宣告されてしまったのです。僕は「なんで?」とも聞かないで翌日、先生に東京駅まで送ってもらって帰郷してしまいました。

 その理由は僕の両親が老いていて、無職で、学費が払えないためで、そのことを両親から聞いていた先生の苦渋の判断だったのです。受験を諦めたその後の生活は空中分解しましたが、この場合は自分が諦めて手を引いたというよりも先生の諦めに僕は従がったに過ぎなかったのです。この一件はその後の僕の人生を物凄く大きく変えましたが、先生にとっても僕にとっても正解であったということです。

 このような人生を左右する大きい諦めは、その後、グラフィックデザイナーから画家に転向する時も起こりました。この連載の初めにも触れましたが、実に理不尽な衝動が僕の内部で起こり、デザイナーから画家に転向するべきだと言う天の声だか悪魔の声だかによって洗脳された結果でした。

 と、色々諦めについて考えると、実に面白いなあと思えるのです。そして、僕の場合は諦めによって、知らず知らずに人生を切り拓いてきたように思います。あの時、諦めないで強引に目の前の大きい仕事に取り組んでいたら、今とは別のもっと、いい風景の見える場所に運ばれていったのかな、と思うことがありますが、一見おいしいけど実は悪魔、というものから逃がれてきた結果が今だと思えば、何も後悔することはありません。目の前にぶら下っていたチャンスに従がっていたら、僕は多分、海外で現在と同じような美術家の仕事をやっていたのかも知れませんが、これが今生の僕に与えられた宿命だったんだと思えば、諦めるも何もない、これが自分だったんだと諦めるしかないと思っています。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2023年11月16日号掲載

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