島倉千代子「13億円借金」整理に剛腕を振るったカリスマ占い師

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細木が見せた剛腕

 1977年3月、細木さんは債権者を、自分が経営するクラブ“艶歌”に集めた。

「テーブル上に3億円を置いて、“あんたはいくら貸したんだ”“実際に借りたカネより膨らんでいるじゃないか”と詰め寄り、実際に借りた金なら払えると言って、手形とはいえ13億円にまで膨らんでいた借金を3億円でチャラにしたんです。こうして千代子の債権者は細木になり、興行権も彼女に移ったのです」

 以後、彼女の仕事は変質したという。

「キャバレーやクラブで歌うことが増え、コロムビアの関係者からは、細木さんが怖くて誰も近づけないと聞きました。彼女は“てめぇ”“コノヤロー”とヤクザ口調で、すぐに“明日の命だよ”“死ぬ気でやれ”と言う。作曲家も作詞家もビビッて、千代子に新曲を作りませんでした。細木さんへの借金は4年で2億円を返し、“あと1億返したら自由にしていいよ”と言われたので、コロムビアに泣きついた。ところが“借金の決着をつけたのは私なのに礼はないのか。1億円くらいもらっても罰は当たらないよ”と言われ、都合2億円をコロムビアに立て替えてもらったのです」

 それでも征夫さんは、細木さんを責められないという。

「細木に馬車馬のように働かされたからこそ、鬱やノイローゼになる暇もなかった。千代子の寿命は10年延びたと思いますよ」

 その後、『人生いろいろ』のヒットもあって借金を完済。亡くなったときには4億円の現金と有価証券などが遺されていたという。

 このインタビューの2年後、征夫氏もこの世を去っている。実は千代子さんとは金銭トラブルもあり、長い間絶縁状態だった。しかし記者に対しては、デビュー間もない頃、一緒に全国を回った時期が一番楽しかった、と振り返っていたという。

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