視聴率女王「細木数子」はなぜテレビから姿を消したのか
反社会的勢力との交際
今となっては日テレ、テレ朝、NHKの判断が正しかったと言えるのかもしれない。2006年からはノンフィクション作家の溝口敦氏が週刊現代で「魔女の履歴書」の連載を開始し、細木数子氏の実像に迫った。
「暴力団との関係などを赤裸々に描いた連載は評判となりました。細木氏サイドは名誉毀損などで6億円の賠償請求を求める訴訟を起こしましたが、最終的には訴えを取り下げ、番組も降板しました。連載は『細木数子 魔女の履歴書』(講談社+α文庫)にまとめられ、今でも読むことができます」(前出の記者)
細木氏が人気占い師としてブレイクする前、歌手の島倉千代子(1938~2013)や思想家の安岡正篤(1898~1983)と“トラブル”を起こしていたことも、今では明らかになっている。
「借金で苦しむ島倉さんに近づき、確かに一度は金銭問題を解決しました。ところが細木さんは、それ以後は事務所の女帝として君臨し、16億円の負債を作ってしまいます。島倉さんがもしお金で苦労することがなければ、美空ひばりさんに並ぶ歌姫として歴史に名を残していたはずです」(テレビ局関係者)
安岡正篤は東京帝大法学部を卒業し、1924年に発表した『日本精神の研究』などの著作で脚光を浴びた。終戦の詔勅(玉音放送)の作成にも携わり、戦後は歴代首相の“ご意見番”として存在感を発揮した。
「安岡さんは晩年に細木さんと知り合い、安岡さんが亡くなる直前に細木さんが婚姻届を提出します。安岡さんの家族は婚姻の無効を裁判所に訴え、それが認められましたが、その後も安岡さんとの関係を吹聴していました」(同・関係者)
コンプライアンス問題が浮上
過去の行状が明るみになるにつれ、「これではテレビで使うわけにはいかない」という声が高まっていった。
「2008年3月に、テレビのレギュラー出演を終了させました。週刊現代に対する名誉毀損などの訴訟も、テレビ出演が終了してから裁判所の和解に応じました。出演終了は『充電期間を設けたい』、『本業の仕事に専念する』などと公的には説明されましたが、やはり週刊現代の報道と無関係ではなかったでしょう。今でいうコンプライアンスの観点から問題になったのです」(同・関係者)
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こうして視聴率女王は表舞台から姿を消していった。実のところ、反社会勢力との交際はもちろん、BPOでも問題視された「地獄に落ちる」などと相手を脅す物言いは、ある種のカルト宗教などの手法との類似性を指摘されても仕方がないだろう。ただし、この件について彼女をスターに押し上げたテレビ局が反省を示した形跡は見られない。