巨人が2位指名した瞬間、他球団は舌打ち…26歳、森田駿哉投手はオールドルーキーではない理由
巨人だけが他球団と異なる評価
「23年のみで評価したら、埼玉西武に1位指名された武内夏暉(22=國學院大)よりも上。アマチュア球界ナンバー1のサウスポー」(在京球団スタッフ)
との評価もあった
「多くの球団は即戦力と見て、4位以下の下位で指名できると踏んでいました。26歳、社会人5年目でなければ、1位候補になっていたでしょう。やはり年齢がネックになっていたようです」(社会人野球チーム関係者)
「下位での指名を狙っている球団も多い」と、他球団の動きを察した巨人は指名順位を繰り上げた。もっとも、巨人サイドは少し異なる評価もしていたようだ。
「左肩はすり減っていない。プロ入り後は長く第一線で投げてくれるはずという、スカウトの報告があり、その根拠として、森田の選手歴を丁寧に調査したのです」(球団関係者)
森田は14年夏の甲子園大会で富山商のエースとして活躍し、チームをベスト16に導いた。同年のU-18アジア大会のメンバーにも選ばれ、当時のチームメイトには巨人では岡本和真(27)、岸田行倫(27)がいる。卒業後は法政大学に進み、1年春にいきなり開幕投手を務めた。新1年生の春季リーグ戦開幕投手は、東京六大学史上、斎藤佑樹(早大)以来の快挙である。
「真っ直ぐと変化球を投げるときの腕の振りが全くいっしょなので、打ちにくいピッチャーです。直球は最高で150キロを超えてきます。先発で投げるときは140キロ台に抑えていましたが、変化球を投げても直球とのスピード差が小さいのでタイミングが取りにくいんです。変化球の曲がり幅や鋭利さで勝負する投手はたくさんいますが、スピード差の小さいことでも勝負できる珍しいタイプでした」(森田と対戦経験のある元球児)
だが、六大学リーグのデビュー戦では勝利投手になったものの、その後左肘を痛め、2年生の秋季リーグ戦後にメスを入れた。肘の関節にボルトを入れる手術をし、ようやく痛みから解放された。4年春に復帰したが、3年近くも実戦から遠ざかっていたため、最後のシーズンは調整に重きが置かれた。
「それでも、社会人野球の強豪であるHonda鈴鹿がスカウトしました。高校時代や六大学で開幕投手を務めたころに戻る、いや、それ以上になると期待されたんだと思います。本人も、将来の夢はプロ野球選手だと、高校時代から思っていたそうです」(前出・社会人チーム関係者)
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