【袴田事件・初公判】検察は名前も明かさない御用学者7人の「共同鑑定」にすがるしかない…そして裁判所に絶対に否定させたいコトとは
「吉村検事の考える範囲の調書」
さて、巖さんの獄中からの書簡を少し、紹介しよう。吉村英夫検事や裁判官について書かれている。1974年(昭和49年)4月30日付の書簡から抜粋する。
《そこで、その事実のない無効調書、昭和41年9月9日、検事調べの、この一方的にできた時を顧みると、私は何か異質の有毒を感ぜられる空気を長時間吸うと、その息苦しさなどから人は死を感ずるものだ。且、刑事等によって殆ど全く頭脳が混乱され廃人同様に虐げられた。私に対する、吉村検事の調べは容疑者のなど全く無視。同検事の考えだけで、即ち、証拠に基づかない取り調べに独走したのである。彼は、犯人をどうしても作ろうとする奇人と化して、罵り、又ある時は刑事等によって拷問させることを仄めかし、終に、吉村検事自身の考ええる範囲の調書を労作したのである。右調書の内容は、一切がすべて無だ。したがってこのような調書を王座視した、石見裁判長は、法の番人であるべき裁判官自ら法を犯し、且、すべての番人の顔をも土足で踏みにじった、ことに外ならない。》
吉村検事、そして石見裁判長、高井裁判官の「嘘」を誰よりも熟知しているのは巖さん本人に他ならない。
こうしたレベルの高い文章を読むほどに、仮に巖さんが当時の精神状態を保っていれば、再審の法廷で尋問する検事にビシビシと鋭い言葉のパンチを浴びせてKOしていただろうと想像してしまい、残念でならない。手紙が書かれた時、巖さんにとっては逮捕から8年が経過していた。この年の世相を少し紹介する。
日本経済はオイルショックの不況から脱却できず、戦後初のマイナス成長となる。佐藤栄作元首相がノーベル平和賞を受賞。東京・丸の内の三菱重工ビルで8人が死亡するなど過激派「東アジア反日武装戦線」による連続企業爆破事件が世間を震撼させる。フィリピンのルバング島から大戦が続いていると信じて帰還しなかった旧陸軍・小野田寛郎少尉が救出され、「恥ずかしながら帰ってまいりました」と報道カメラに敬礼した。東京都江東区にセブン-イレブン第1号店が開店。「ミスタージャイアンツ」こと長嶋茂雄が後楽園球場で「巨人軍は永久に不滅です」の名台詞とともに引退。ボクシングのガッツ石松がWBC世界ライト級王者に。流行した歌は森進一の「襟裳岬」、渡哲也の「くちなしの花」。ブルース・リー主演の映画『燃えよドラゴン』が大ヒットした。
来年3月での結審が見込まれていたが、証人尋問等の進行次第では延びる可能性がある。静岡地裁の一審を担当し、合議で唯一人、無罪を主張した熊本裁判官は、罪状認否で被告人席の巖さんをじっと観察した後、「我々が裁かれているみたいですね」と石見裁判長に漏らしたという。裁かれるのは巖さんではない。今こそ熊本裁判官が言っていた裁きが始まる。